将棋の日

今年も将棋の大盤解説。息子の付き添い。これで三年目。

観客200名、ほぼおっさん。子ども二人しかいない。


息子は決して強くない。熱中してるわけでもない。でもこの5時間の長丁場を「行きたい」という。盤面が動かなくて退屈なときもある。しかも今年は立ち見で壁際で立ったり座ったりしんどい態勢が続いた。根をあげるかと思ったけど結局最後まで満喫。途中で妻にお願いしたキャンプ用の小さな折りたたみ椅子やら飲み物を差し入れてもらって救われた。

 

駒の読みに興味あるかといえばそうでもない。そもそもむずかしくてわかるわけがない。

何を楽しんでるのだろう。横で観察していると、どうも棋士の普段の様子の雑談や、色紙があたる次の一手の抽選会や、羽織で真剣勝負してる様子とか、まぁなんか盤面の周りにある雰囲気のようだ。たとえば棋士同士でフットサルをやっているという話。「おれもいいなぁやりたい」と呟く。棋士にならんでもフットサルがしたらいいやん、という話なのかどうか。

 

学校でもきっと教科書の内容より、授業の雰囲気や雑談が好きなのだろう。そういうやつ、もう一人知ってる。

ツゲの樹で作った盛り上げ駒が欲しくて、天童市に行きたいそうだ。モノに興味があるやつも、もう一人知っている。

そう、それはワタシ。


8時間の対局の直後、すぐに両棋士現れて会場はその日一番の盛り上がり。

8時間の戦いの後、気持ち切り替える間も無く観客の前に来て話すってすごいことだな。そんなのスポーツでもないけど、スポーツの観戦と決定的に違うのは、観客がどちらを応援するかで分かれていないことだ。個人の中にはあるのかもしれない。でもそれは表には出なくて、観客は両者から出される一手一手を共に味わう、そんな一体感がある。スポーツのような緊張感と、舞台のような華やかさの両方がある。


そのあたりが魅力なのかなと思った三年目。羽生さんが小学生の時にカープの野球帽で、あのファッションが定番なったのもなんかしっくり。半分だけスポーツの表れ。

今年も抽選は外れた。いつか色紙、当たるといいね。明日は子ども大会。