パパ向け子育て座談会

今日はパパむけの小さな子育て座談会のパネリストとして登壇した。ぼくが役所で週2.5日勤務の育児制度を長期でただひとり使っていることもあり、珍しい存在なのでお声がかかった。

同じパネリストに、小学校の先生で、約20年前にはじめて男性で育休を取ったという人生の先輩がいらっしゃって、数々のアドバイスが心に刺さった。

男性の取得の実態では、いまも20年前も全く変わらない、というか後退しているようだ。当時も取得促進うんぬんは叫ばれていたが、ご自身以外、後続はいなかった。いまよりもっと社会の理解はなく、公園でも変人扱いされたそうだ。さすが全国でも有数の保守王国だけある。有給休暇の消化率も女性の幹部に占める割合は当時も今も全国最低レベル。まじめで従順で忍耐力があるので、政治家は何十年も居座り安住できる。そういう地方である。そう簡単に変わることはないのだ。それがいやな若者はこの地を去って戻ってこない。

 

それでも先輩は、「孤独だろうけど、家庭はもちろん、仕事にも生きるし、ぜったい人生の糧になる」ということを確信をもっておっしゃる。勇気が湧いてくる。

「娘と小さい頃にお風呂に入れていれば大きくなっても離れない。」

「3歳までに味覚は決まるから濃い味の外食は避け、なるべく天然の味にふれさせること。」

「音楽とか、頭よりもなるべく手を動かすことをしっかりさせたほうが、あとあとデキる子に育つ傾向が高い。」

「お父さんがよむべき絵本があって、真剣に読めば、子どもたちは大人になっても覚えている」

などなど。

「女の子は家でまじめで良い子はむしろ外では逆のことがある。家で自由に甘えさせて、わがままを聞いてあげるような家庭があると、外ではものすごくいい子でいられる。」これは目からウロコだった。

家事の話でも、皿洗いとか、水を流しながら手を動かす、目に見えて成果が出ることというのはストレス発散によくて心が落ち着くからいいことなのだ、ともおっしゃっていて、それは日々実感するようになった。家事はノルマではない、癒やしなのである。

 

最後に「しあわせな家庭のかたち」、「どんな社会になってほしいか」という質問があった。ぼくは「家族にとって帰る場所でありつづけること」、「あまり短期的な成果ばかりをおわず、次世代をふくめて長い目での貢献を尊重できる社会」と答えた。

 

そして、つくづく、ぼくは端からみたらハラハラするような、どこか不安定な状態が実は心地よいということに気づく。どうしてそんな気質になっちゃったのだろう。終身雇用、年功序列の既定路線の人生は息がつまる精神構造になってしまっている。正直しんどい。でも仕方ない。両親とも自営業でがむしゃらに働いて育ててくれた姿を小さいころから見て、大人になってそのすごさをかみしめていること。それも大きい。

 

そもそも、外から中途で入って公務員になった以上、内部にとっては当たり前、でも外からみればオカシイ、そんな「そういうことになっているから」に適応してはいけない。もちろん、適応できた方が組織の中では泳ぎやすい。でもそんな人材は新卒で十分で、中途で採用する意味がない。そんなのは自分が楽になっても、社会にとっての貢献ではないと信じている。

大きくて固い体制に対して、ムダな抵抗かもしれない。それでも、小さくてもいい、風穴を開けようとするべきなのだ。これからの若手・中堅にとって、定年までずっと我慢比べをするような現在の閉塞感をなくさないと、本来の使命である「全体の奉仕者」なんかになれない。将来にとっても、安定志向の子ばかりが公務員になるなんて絶望的だ。そんな地方に我が子を住まわせたくはない。

そしてぼくの場合、給料が半分なので構造的に歳出抑制にもなっている。全国的に広がれば、公務員の人件費はずいぶん削減されるというポテンシャルがあるプロジェクト。その小さなモルモット。それでいい。

 

終わってから、コーディネーターの女性からぼくの発言を聞いて「中に、熱いマグマが溜まっていて、いまはそれが吹き出ないように、抑えていることがわかりました。これから楽しみです。」とおっしゃった。だいぶ控え目に話をしたつもりだけど、へえそう見えるのか。

家を家族の「帰る場所」にしたいぼくは、この地方だって、我が子たちにとって帰りたくなるまち、であり続けてほしい。

ではそれはどんな環境か。中が濁って見えず、ずっとそこで暮らしてないと生存できない「沼」ではいけない。透き通っていて多様な森羅万象が生き生きのびのび、生命を謳歌している「清流」でなくてはいけないのだ。

 

20年前に先をいった先輩の背中は大きかった。その先輩から放たれる子育て論は一つ一つに説得力があった。真剣に我が子と向き合い続けてきたことがひしひしと伝わる。「家庭のこと、子育てのことは妻に任せっきりで」とよく先輩の同年代の方々が口にするのとは対照的だ。

一つ一つの言葉に親としての責任感と自信がみなぎっていて、すごくかっこよかった。20年後、ぼくがそうあらねばならない。そして、もろもろを理解してくれている妻に感謝したい。