読書メモ〜『前川さん、すべて自邸でやってたんですね』

『前川さん、すべて自邸でやってたんですねー前川國男アイデンティティー』(中田準一/彰国社/2015)

 

大建築家前川國男を支えつづけ、その自邸を再建した弟子による回顧録。師への愛に溢れ、泣けた。心から尊敬する人に仕えるというのも、幸せなキャリアなんだな。

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謎の言葉は、「ムーブマンがないね」

私はムーブマンとは連綿と繋がる空間の流れであるととらえているが、ある先輩は、一筆書きができる壁の流れという。

(中略)

旧前川邸の「ムーブマン」は道路から始まっている。

門扉のない入口からサロンに至る道筋で、景色は変化しつつも区切りのない空間の流れ。

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「バフラな空間が大事なんだよ」

(中略)

この「バフラな空間」とは、私なりには「茫洋とした、とりとめのない空間」ではないかと解釈している。前川さんは、この空間を獲得するのに多大なエネルギーをかけている。埼玉県立博物館のバフラな空間は、18m☓72mのエントランスホール。熊本県立美術館のそれは吹き抜けをもつロビーである。

(中略)

「君、パブリックな建築のパブリックな場所のデザインは難しいんだよ」

(中略)

はじめに提示される施主の要件には入っていないこれらの「バフラな空間」が、その建物の「らしさ」を生み出し建物の個性となり、それが、その建物の存在感を生み出している。

その実践は、すでに旧前川邸にあった。

(中略)

前川さんは、ここを居間やリビングとは呼ばず、「サロン」と呼んでいた。夫婦2人で食事をするのも、愛用のフィリップス社製のプレーヤーでレコードをかけて音楽に浸るのも、さまざまな友人や知人が集まり語り合うのもこのスペースであった。ここがまさにバフラな空間、旧前川邸の象徴的空間である。

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ヨーロッパの近代合理主義に基づいて日本の近代建築を牽引してきた前川さんが最晩年の頃、「生きていく上で芸術は必要だ」と言われた時に、「建築にとっての芸術とはなんですか」と尋ねたことがある。

「建築にとって芸術とは演出だよ。窓まわりにある」

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「アプローチが決まれば、設計の80%は決まったようなものだ」と前川さんは言う。

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さまざまな条件に対して無理なく合理的に組み合わされた状態を、「身の丈に合う」と理解している。無理せず、熟考し、つくり手自らが責任を取れると判断してつくられたものには、バランスの取れた美しさが宿る。

前川さんは、「身の丈に合う」ことを大事にした。これは、つくり手の思いが先に立って無理を承知でつくり出したものは、他の条件を無視しがちでバランスが崩れるので避けるべきだと言っているようにも思える。しかし一方で、目標を一段高く上げて試みることも大事なことであり、そこに発展がある。

「身の丈に合う」、そして、さらにそれを超える新鮮さがないと前川さんのOKは出ない。

前川さんのOKをもらうには、ちょっと背伸びをすることで到達できる可能性、それを見極める能力を養う不断の努力が必要である。最終的には、それを決心した者に生じる責任を受け止める覚悟も求められる。「ちょっとの背伸び」をしなあらも、スケッチに込められた考え方を前川さんは見ていたと思われる。

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「食べるところは大事だよ」、前川さんはよく言っていた。

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前川さんは晩年、「人間の存在は、はかない。その存在を建築に託すことができるのではないか」とよく口にしていた。

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「君、花はなぜ美しいか」

晩年の前川さんから問われて、答えに窮したことがある。すべてのものがバランスして、自らの責任を持って存在するからこそ美しい。「それは、自らの責任でそこにあるからだよ」と、しばらく経ってから教えてくださった。

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前川さんは、建具金物に対して一家言を持っている。埼玉県立博物館建設の折に私が選んだ候補を報告したところ、「錠前を含む建物金物は、まず、故障が起きないものにするように」と注意を受けた。建築のトラブルは水まわりか建具の建付けと相場は決まっていて、事前にトラブルの発生を回避するのが常道であると教えられた。

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建築をつくる過程で、ハードやソフトを含めたさまざまなことを学ぶ。前川さんは「社会から教えていただいたものは、社会にお返ししなさい」と言っていた。「仕事を通じて知り得た知識は社会共有の財産として開放しなさい」という意味として私は受け止めた。

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ある時、本屋さんから預かった5〜6冊の本を前川さんがいる所長室に持って行くと、1冊1冊ページを開きながら、ぽつりとつぶやいた。

「君ね、美しく年を重ねるのは難しいよ。死ぬのが怖いんだね。」

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