参観日

「別に。」(長男)

朝、長男が学校行く前に「今日の参観日、父ちゃんも母ちゃんも行くぞ。うれしい?」と聞くと、ぶっきらぼうにこう返ってきて、そのまま家を出ていった。

これまでは素直に「うん」といっていたのにな。ついにこの日が来たか。4年生なら、それが自然だとおもうから、ショックではない。「別に、いかなくても大丈夫なん?」と「別に」返しをしたら、「うん」といままでと反対のところで「うん」を使う。

かといって、「来ないで」とは言わない。ぼくがいかに参観日に行くことを楽しみに、これまでも最優先にしてきたか、息子も十分分かっている。そういっても来るに決まっている、そう思っているに違いない。

実際に教室にいくと、先に入っていた自分の席の真後ろの妻に「父ちゃんは?」としきにりに気にしていたそうである。ぼくは廊下からみる。息子がぼくをみつけると、「おう」とちょっとだけ手をあげる。笑顔はない。

とはいえ、ぼくが位置を移動するとそのたびに「みつけたぞ」という顔をしてこっちをみてきたり、授業が終わったら笑顔で腕にしがみついてくるので、そこは前のままである。

廊下に自分の読んだ本を紹介する紙が掲示してあって、息子は「SEN」という探偵ものについて書いていた。相変わらず、クラスで一番字が汚い。レイアウトもガタガタ。文もそっけない。ぼくは小学校4年くらいから、それぞれの先生が学級だよりで書く手書きのフォントについて興味をもち始めた。好きなフォントを書く先生の字、今思うと教科書的なキレイな字よりも、自分のキャラクターにあった独自フォントを持った、クセのある書体に惹かれた。むかしの英字のタイプライターの日本語版のような、機械的な書体の先生がいて、それを真似しはじめた。そこから、活字でもいろんなフォントがあることが気になりだした。ぼくのデザインへの興味の芽生えは、カリグラフィーからであった。そういう変化が、彼にもやってきたりするのだろうか。まったくその兆しはない。

その後、妻と息子と3人で保育園に娘二人を迎えにいく。車にいてもいいものを、「中に入る」といって、園児だった頃のように走り回っている。

童心と少年の心が半々で入り混じっているのが彼の現在。来年からは長女が加わるし、さすがに中学校になったら行かないだろうから、彼だけを見る参観日もあと数回しかない。