読書めも〜『小さき者へ・生まれ出づる悩み』

有島武郎新潮文庫/S30

息子がやっていた公文で出会った文を横から盗み読んだら、その渾身な文賞にただならぬオーラを感じまして。有島武郎、名前は知っていたけど初めて読んでみたら、感動して、めり込む。大正時代のイクメンの凄み。

 

小さき者へ

「お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。」

「世の中の人は私の述懐を馬鹿馬鹿しいと思うに違いない。何故なら妻の死とはそこにもここにも倦きはてる程夥しくある事柄の一つに過ぎないからだ。そんなことを重大視する程世の中の人は閑散ではない。それは確かにそうだ。然しそれにもかかわらず、私といわず、お前たちも行く行くは母上の死を何物にも代えがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ。世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。それは恥ずべきことじゃない。私たちはそのありがちの事柄の中からも人生の淋しさに深くぶつかってみることが出来る。小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。それは心一つだ。

人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。」

「私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。それはお前たちから親としての報酬を受けるためにいうのではない。お前たちを愛する事を教えてくれたお前たちに私の要求するものは、ただ私の感謝を受け取って貰いたいということだけだ。お前たちが一人前に育ち上がった時、私は死んでいるかもしれない。一生懸命に働いているかもしれない。然し何れの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向かおうとする私などに煩わされていてはならない。斃れた親を喰い尽くして力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。}

「よく眠れ。不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床の中から跳り出して来い。私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽くすだろう。私の一生が如何に失敗であろうとも、又私が如何なる誘惑に打負けようとも、お前たちは私の足跡に不純な何物をも見い出し得ないことだけの事はする。きっとする。お前たちは私の斃れた所から新しく歩み出さねばならないのだ。然しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から探し出すことが出来るだろう。」

 

<生まれ出づる悩み>

「その人達は他人眼にはどうしても不幸な人達と云わなければならない。然し君自身の不幸に比べてみると、遥かに幸福だと君は思い入るのだ。彼等にはとにかくそう云う生活をする事がそのまま生きる事なのだ。彼等は綺麗さっぱりと諦めをつけて、そういう生活の中に頭からはまり込んでいる。少しも疑ってはいない。それなのに君は絶えずいらいらして、目前の生活を疑い、それに安住する事が出来ないでいる。君は喜んで君の両親の為めに、君の家の苦しい生活の為めに、君の巌丈な力強い肉体と精神とを提供している。君の父上の仮初めの風邪が癒って、暫くぶりで一緒に漁に出て、夕方になって家に帰って来てから、一家が睦まじくちゃぶ台のまわりを囲んで、暗い五燭の電燈の下で箸を取り上げる時、父上が珍しく木彫のような固い顔に微笑を湛えて、

「今夜はああおまんまが甘えぞ」

と云って、飯茶碗を一寸押しいただくように眼八分に持ち上げるのを見る時なぞは、君は何んと云っても心から幸福を感ぜずにはいられない。君は目前の生活を決して悔んでいる訳ではないのだ。それにも係わらず、君は何かにつけてすぐ暗い心になってしまう。

「画が描きたい」

君は寝ても起きても祈りのようにこの一つの望みを胸の奥深く大事にかき抱いているのだ。その望みをふり捨てて仕舞える事なら世の中は簡単なのだ。」