寝かしつけのとき

「大きくなったら、パパと遊んでたこと、覚えているかな」(長女)

ふと、そうつぶやいた。

「覚えててくれないと、悲しいな。」

「じゃ、パパは、パパのママと一緒に遊んだの、覚えてる?」

記憶をたどる。悲しいくらい、一緒に遊んだ思い出、パッと出てこない。

遊んでいるときではないけど、母が運転していて、ぼくが後部座席にいる風景がまず思い浮かぶ。どこかにぼくを乗せていた時間が一番長かった気がする。

でも、あまり楽しいかんじではなくて、また父と喧嘩して母が泣きじゃくって、どっかの山の奥に一緒に連れて行かれて、森の中で止まって本気か冗談かわからないかんじで「一緒にこのまま死のうか」とか言われたときのあの森の風景。どうなるんだろう、と思って不安だったから、印象に残っているのだろうな。しばらくして、帰った。どこまで本気だったか、わからない。

もうひとつは反抗期の僕が心ない言葉をいったのだろう、それで激昂した母はアクセルを全開に踏んで普通の田舎の道路をスピード180kmくらい出して走っていたとき。あれはほんとに怖かった。たしか謝ったらスピードが緩まった気がする。

高校に遅刻しそうだからと、雪道を急いで送ってもらって、スリップして信号待ちをしていた前の車に突っ込んだこともあったな。つくづく、親不孝なダメ息子でいやになる。

 

それらをオブラートにつつんで、長女には「一緒にドライブしたことかな」と伝える。

長女の「いいねぇ〜、楽しそう」という素直な反応に複雑な思いになる。

 

他に楽しい思い出だってあるはずだ。

記憶を掘り下げてみたら、あった。飼ってた犬、マリリンと一緒に近くの公園に散歩にいったときのことだ。マリリンのおかげで、散歩のときは家族は穏やかだったな。たまに、3人で散歩にいったこともあった。反抗期が長かったぼくは、写真を全く撮らなくて全然残っていないのだけど、1枚だけ、公園で母とマリリンを抱えて撮った写真があって、アルバムに挟んでいる。だれが撮ったのだろう、ぼくも、ちゃんと笑っている。いまとなっては貴重なもの。

その写真を長女に見せたことがあったのかもしれない、「知ってる、あのフサフサな犬でしょ、かわいいよね〜。」と相づちをうってくれて、いつ死んだのかとか根堀り葉掘り聞かれる。

長女の質問で、悲しいかな、保育園のときの親との記憶なんて儚いと気づく。

でも、こっちをむいて、人指し指を立てて、「パパの腕枕が、一番。」とそのあと言ってくれる。

「丸くて、気持ちくて、手もつなげるから。」

記憶はなくなっても、この感触はぼんやり残ってくれたらありがたい。