なりたいもの

「パパ、これからなりたいもの、ある?」と夕食時に長女。

「なりたいもの?」

「うん、パイロットとか」

「うーん・・・」

考えたら、はっきり「これ」というのがない自分に気づいて恥ずかしくなる。思い浮かぶのは「なりたかったもの」ばかりだし、「これかな」と思っても「いや、いまからは無理か」と真っ先に消極的な言葉が湧いて来る。育児と主夫の時間はかけがえのないものだけど、キャリアについては自信を失うのである。まぁ、企業や組織に属す働き方をしてる以上、それが自然だ。農家さんや僧侶や職人さん、芸術家とか、自分の手や技術がそのまま生業になっている方々とは違う。弱いのだ。

 

何も自分には築いてきたものがあるわけではなく、今のぼくは仕事に何かの目標をもって進んでないことにはっきり気づく。

長男も次女も注目して耳を傾けている。

「そうだなぁ。」

しばらく考えてから「おじいちゃん」と答えた。

息子がガッカリした顔でため息をついた。夢をもってない親父はたしかにいやだろう。子どもたちにはこういうふうにはなってほしくない。何になるというよりは、「ありがとう」に近くて、日々手応えがある仕事についてほしい。

でも、ぼくは今これでいいのである。自分はダメだということも、定年してから気づくより、いま気づいたほうがまだ希望があろう。この目の前の時間のほうが、後で大切さを気づいても取り戻せないし、大事なのだ。自信は自分の働き方次第でなんとでもなる。

 

「早く孫の顔がみたいな」

「あ、そういう『おじいちゃん』ね」と息子。

それなら少しは分かるといった顔になる。

「それなら、お兄ちゃんが先やね」と長女。

「いや、それはわからんよ」と息子。

息子が自己紹介で書いていた「将来のなりたいもの」は「プロテニスプレーヤー」であった。