なぜの時期

洗面所で鼻毛を切っていると、次女が寄ってきて「鼻、切って痛くないの?」と心配している。父は鼻にハサミを突っ込んでどんでもないことをしていると思ったらしい。

切ってるのは毛だから大丈夫と安心させると「タテに入ってるから、切れないよ」と刃の向きを気にしている。

自分はしなくてもいいのかという話題になり、小さい頃は毛がないから大丈夫、というと「なんで小さいときは毛がなくて、大きくなったら毛が生えるの?」という質問。

ちゃんとわからない。ホルモンの仕業か。

「大きくなったらね」で言葉につまっていると、

「大きくなったら、何?ねぇ」と催促。

「う〜ん」

「『大きくなったら』で、終わり?」

「なんでかな。まぁ、大きくなったら、大事なところを守るために生えてくるのかな。」

「大事なところに毛が生えるの?」

「そう。頭とか」

「パパのそれ?」

「ぼくの頭も生えてくる?」

「もう生えてるじゃん。」

「あ、これか。」と頭をさすっている。

でも答えになっていない。小さな頃に生えない部分は大事じゃないのか。そこに気づいた次女に「小さい頃はパパとママが守ってるから大丈夫」とお茶を濁す

さらに、大人になって剥げてくるのは、頭が大事じゃなくなったからなのか。顎の方が大事だからか。そう聞かれたらどうしようと思ったけど、そこまでは聞かれなかった。

 

最近、次女の疑問やリスクエストが非常にクリアになってきた。昨日も保育園に送る前にプールのためのバスタオルがないと騒いでいると、ぬいぐるみで遊びながら「プリキュアのね。もっとちゃんと探して。」と言われる。

「すっげー、父ちゃんに指示してる。社長やな」と横で聞いていた息子が笑う。

そしてちゃんと探したら、たしかにあった。

 

寝かしつけのときに、寝床に立つ4寸の正方形の柱をみて、

「あの柱、丸い木だったのを、四角にしたの?」と尋ねるので「そうだよ」とこたえると、今度は壁の内装に貼ってある薄く、平べったい大きな木の板をさわりながら、「じゃ、これは?なんでこんなに大きいの?」と聞いてくる。同じようにその板もつくられていたら、元の木はものすごく太くなる。おかしいだろうと思ったのだろう。もちろんそんなに太い木ではなく、大根のカツラ剥きのように木を薄くスライスしていってできたシートみたいなものだ。伝わったかどうかわからないけどそう説明すると、「ふーん」といっていた。次は床の杉板に話題がうつる。

目にするもの、さわるものみな「なぜ」の時期。