ワールドカップ

ロシアワールドカップの日本最終戦、対ベルギーは午前3時半からであった。息子は見たいからと8時に床に入ったものの、寝付けず9時ころに「寝れん」と大声で泣いていた。横にいったら落ち着いてすぐ寝入った。

妻も息子も3時半に起きた。ぼくもつられるように起きた。一緒に見たい?ときくと息子も「うん」といったから。

みると後半になっていきなり日本が2点先制してリードするというびっくりな展開で、2点目が入ったとき、三人で「おー」っと叫んだら寝床の娘二人が驚いて起きて泣いた。妻が悔しそうに落ち着けにいく。

後半ロスタイムで逆転の3点目を入れられるという実に悔しい負け方で、息子もこの負けが受け入れられなかったのだろう。少し寝ようと寝床にっても、くそーと枕を叩いて悔しがっていた。

いまさらわかったことがある。一生懸命やっている人間はとても美しくてかっこいいということ。結果は悔しかったにせよ、手を抜かずに懸命にみんなで力を合わせているという姿に心が奪われる。しかもその力が正面からぶつかっている。そのエネルギーをストレートに拝めるのはスポーツが最も直接的だ。しかもサッカーの場合、4年に一度しかみられない最高峰の戦いの場が準備されていて、一つのピッチに22人ものがむしゃらな、人生を賭けたエネルギーの塊が集まっている。

たとえばロボットが同じプレイをしていても、ここまで感動はしないだろう。それはきっと人間には本来的に弱さを抱えている存在で、それでありながらピッチの中の代表たちはストイックに自分を追い込んで、誰よりも努力を重ねているから、敬意を持てる。自分と近くて、それでいて遠い存在。だからいいのだ。

翌日、息子にそんなことを話していた。

息子のおかげで早起きして、サッカーに興味をもって、ここまで感動できた。子どもを育てて、自分の世界が広がった。親冥利に尽きる。

次のワールドカップは彼は中学校2年。友だちの家で見るといってもおかしくないわけで、親子で一緒に見れたのは最後、かもしれない。そう思うと、他の試合も早起きして一緒にみるべきだったと悔やまれる。