めげない

息子がスイミングを初めて6年くらい。ついに一級にたどりついた。初めたときは年中で両国のルネッサンスだった。家からタクシーで行くという、倹約生活の今からは考えられない贅沢な通い方をしていた。あの時、タクシー乗らずにいま俺の小遣いにほしい。それはさておき、帰路は天気がいいと歩いて帰った。隅田川を渡り、浜町公園を通る。公園でかならず遊具で遊ぶ。だいたい一時間くらいかかった。のんびりした土曜の午前の時間。懐かしい。

こっちに住んでからも、続けている。一級になるまで、がひとつの目標。

バスが家の近くまで送り迎えしてくれるから、ギャラリーから毎週見ることはなくなった。月末の回は帰ってきたら、進級テストの合否の書かれた紙を机の上にボンと置くのが恒例になっている。そしてたいてい、落ちている。頭をうなだれて「ダメやったー」というけど、あまり悲壮感はない。一級あがるのに半年くらいかかるから、落ちるのには慣れている。同級生にはとっくに一級にたどりついてさっさとやめてしまった子もいるし、追い越されてもいるみたいだ。ぼくらは「次またがんばれ」と声をかける。「プール、楽しいか」と毎週聞くと「うん」という。

このように息子の「もうやめる」とすぐにサジを投げないところには感心する。一級になるためにはバタフライ25メートルを泳がなくてはいけない。こないだ見たら腰は沈んで手は上がってなくてこりゃまだまだだと思った。まだ背筋がないから、そもそも無理な動きにも思える。それでも「もうやだ」とは言わない。友達ができたのだから、自分もできるはず、と思ってるのかな。

その日はまたうなだれながら机に合否の紙をポンとおくが、喜びか隠しきれていない。笑みがすでにこぼれている。妻もぼくも驚いて「受かったか、おめでとう」とはしゃぐと顔を上げ、嬉しそうにはにかんでいる。合格バッジが合否の紙に貼ってある。にわかに盛り上がって長女も次女も何がどうしたの?と不思議そうである。イッキュウってなに、そんなにすごいのとキョトン。

以前は一級になったらやめるといっていたけど、まだしばらく続けたいそうだ。次から個人メドレーになる。父ちゃんもそこまでやってたわというと興味深そうに聞いている。

辛抱強いというより、つらいとおもってないかんじ。負けず嫌いなのだろう。ぼくも小さい頃はそうだったけど、ぼくのように負けてギャーっとなることはない。彼の場合、負けを受け入れる。次に切り替えることができる。

「やめない限り、次がある。」

これからも言い続けていきたい。