赤ちゃん

次女が最近しきりに「むかし、パパとママ二人ですんでいたんでしょ。それで子どもがほしいな、っておもって、赤ちゃんが生まれたんだよね」と聞いてくる。一番目はお兄ちゃんで、二番目はお姉ちゃんで、三番目が「ぼく」、と続く。そして「最後いやだった」といじける。三番目に生まれると「一番じゃない」という意識がもともとあってか、「一番」へのこだわりは逆に大きい気がする。日常のささいなこと、例えば配られるバナナの大きさでも「一番さいしょに一番大きいもの」を選びたいと主張する。

息子が赤ちゃんの頃の動画をみたとき「このとき、ぼくはどこにいたの?」と聞く。「お空にいたんじゃないかな。」

こないだは「こんな赤ちゃんがいいな〜って、いろんな写真で選んだの?」と聞いてきてびっくりした。普段やっているAmazonビデオでコンテンツを選ぶように選んだことを想像したのかもしれない。

むしろ選んだのは赤ちゃんの方なのじゃないかしら。パパとママの赤ちゃんに生まれてきてくれてありがとね、と伝える。