普通に負けた

去年の登山のときから薄々こういう日が来るとは思ってはいた。

強い雨の降る荒天の週末、職場の人たちとリレーマラソンに出た。1周1.9キロを11周してハーフマラソンの距離を走る。そこに息子も加えてもらった。ぼくの1周のベストは9分20秒。息子は9分10秒。完敗だ。ぼくは2周で息子は1周とはいえ、それは言い訳にならない。油断したわけでもない。あれ以上早く走れといわれても無理だ。

ぼくからのタスキを息子は大声でぼくを手招きしながら受け取って、元気よく走っていった。体重が三分の一もない彼の走り姿は実に軽やかだ。半分くらいのところで、コース脇から声をかけて応援した。また速度が上がっていた。思っていたより、頼もしいくらい体力があることに気づく。

この同じ感覚は夏の登山のとき、室堂から頂上を目指した最後の1時間、息子はそんな体力がまだ残っていたのかと驚くくらい意気揚々と駆け足で登っていってしまったとき以来である。どんどん遠くなる背中を見送るしかなかった。負けたら何か買ってやるとタカをくくった口約束をしてしまっていたので、息子は何を買ってもらおうウシシと鼻息が荒い。

しかしである。別のチームに同級生がいて、サッカークラブの選抜メンバーらしいのだけどどの子も7分台、おそくても8分台で走ったというのだ。息子は父ちゃんに勝った有頂天そこそこに今度は悔しさが込み上げて来たようだ。「もう一周走ろうかな」といい出した。この雨の中、本当にトータル3.8キロいけるのか心配になるので慎重に考えるようにいうと迷ったあげく「やめとくわ」という。賢明だ。また次があるし、追いかける目標がある方が負けず嫌いの息子は楽しめる。

降り続く雨は体温を奪う。走り終わったあと、熱くなってカッパを着るのをずっと拒んでいたが、急に「父ちゃん寒い、もう帰ろう」と弱音が口を突くようになった。

無事に全員ゴールして解散となったあと、携帯の電池がないことに気づく。妻の迎えを呼ぶ連絡をどうしようか迷ったあげく、息子が限界に近いこともあり会場近くのホテルにピットインする。そこで持ってきたバスタオルでビショビショの全身を拭う。妻がすぐ迎えにくる想定だったので着替えは車のトランクに置いてきてしまった。段取りミスである。水滴はバスタオルが取ってくれたけど、まだまだ濡れている。室内に入っても、まだ体温は奪われ続ける。

さらに「父ちゃん腹減った」というので仕方なくホテルのレストランに行くことにする。普段は入れないような高級なレストラン。止むを得ぬ。しかし他のお客さんは少しオメカシしているこのお店に、ランニング着のこのズブ濡れ親子、入店NGではないかしらと入口で不安になるものの、ジェントルマン風の店員は一瞬「ゲッ」とした目つきをしたものの、震える親子を見捨てるわけには行かぬという男気に駆られてくれたのだろう、寛容に「ど、どうぞ」と通してくれる。

注文もそこそこにバイキング形式のほかほかのコーンスープを犬のようにすする息子。一安心したところで先ほどの紳士ホールスタッフさんに「すみません、電話借りれませんか」とお願い。また店員さん困った顔をする。このびしょ濡れ親子、今時電話も持ってないのかよ、という本音が目の奥に隠れている。「で、電池が切れてしまいまして」と慌ててつけたす。

困った表情のあと、「少々お待ち下さい」と裏に消えていく。その後、ご丁寧にぼくをフロントまで連れていってくれて、フロントのきれいなお姉さんに「先ほどの電話借りたい人」と紹介してくれる。お姉さんの笑顔もどこかよそよそしい。服が濡れているということはこんなに人を遠ざけるものなのか。ようやく妻に連絡が取れる。30分後に迎えにきてくれることになった。

レストランに戻ると息子はまだコーンスープを命の水といわんばかりにすすっていた。サラダやパンをバイキングからとってきてやる。食欲が満たされて、少し生気を取り戻したようだ。白いパンをよく食べる。普段は食後のドリンクも迷わずオレンジジュースを選ぶはずが今日はホットミルクティーにした。運ばれてきた頃、窓のむこうの駐車場に妻の車が来たのがみえる。元気になって妻に手を振っている。

家では妻がお風呂を沸かしてくれていた。「何を買ってもらおうかな、迷うな」と嬉しそうである。来週誕生日なので図らずもボーナスが来た体だ。ニンテンドーがいいというが「電気を使わないもの」がぼくからの唯一の条件である。

「父ちゃんは長い距離は走る体力あるけど、速度はないんだね」と実に的確な今日の気付きを披露される。そのとおりである。その長い距離もいずれは追い越されるのだろう。

世代交代の引導は突然渡されるのだな。勝利の副賞にホテルのバイキング。高くついたが、悔いはない。フルマラソンで抜かれる日はいつ来るのだろうか。楽しみだ。