息子不在

風邪から復帰した息子はここ一週間くらい家にいない。従兄が遠くからきていて、一緒に祖父母の家に泊まっている。実にご機嫌で楽しそうだ。しかし、こっちは彼がいない夕食の食卓はスカスカな気がして、もの寂しい。いつも何かしら本を読みながら食べているから、何のことはないはずなのに。

もうすぐ彼は10歳になる。以前、子どもの身体には磁石が入っているという話を書いた。親と子どもがNとSで引かれてくっついている時期を彼はついに終えようとしているのかもしれない。従兄に学校の友だち。同年代と過ごす時間のほうが楽しくなる。そっちのほうに磁石がむく。それが自然な成長だし、喜ばなくてはいけない。彼が不在の間に「ピンポーン」と近所の友だちが4人で彼を誘いに来た。「あいつ、呼びに行こうぜ」となったことがわかり、うれしくなる。

考えてみたら、18歳でこの家を息子が出るとすると、ちょうどいま息子と一緒に家で過ごす期間の折り返し地点を過ぎたところだ。ぼくもそうだったように、一度出たら、普通もう一緒に過ごすことはないとしたら、あと9年しかない。しかも、中学校に入ったら反抗期でほぼ親との交信は途絶えるとしたら、まともに口を聞くのはあと長くて3年。言葉を失う。信じたくないくらい短い。マラソンで折り返しは「まだまだこれから」なのに。10歳を超えたらもう自動操縦なのだ。親はコックピットにはもういられない。せいぜい管制塔、ときどき報告受けたりアドバイスをするくらい。

やっぱり10歳までの期間はとことんかけがえのないものだとつくづく思う。だからここぞとばかりに長女と次女をお風呂に入れて寝かしつけまでやる。絵本も読む。彼女たちも兄がいないのは寂しい、あるいは「お兄ちゃんだけおばあちゃんの家、ずるい」。

長女は年長、次女は年少。来年になると長女が小学生になり、娘二人と歩いて一緒に登園という楽しい日常もあと1年もない。今年度は子育て黄金期な気がする。1日1日をかみしめるのみ。