ついこないだ

今月38歳の誕生日を迎えたわけで、高校卒業から20年たったことに気づく。生まれてから高校までの期間を、高校卒業してからこれまでの期間が上回っているわけだ。信じられない。高校卒業なんて「ついこないだ」の範疇だという感覚がある。あのころから成長したところもあるとおもうけど、退化しているところもたくさんある。

何より恐ろしいのは、高校を卒業するときに、「ついこないだ生まれたばっかりだよね」と思っていなかったにも関わらず、その期間よりも長いわけだ。この時間感覚、直感が追いついてこない。時間が圧縮されている。

人生がいつ終わるかは分からないが、余生の捉え方として、「何年生きるか」という定量的な方法はもはや意味がないようだ。子どもたちがその頃には何歳になるとか、他者との関係を測るときに比べられるから便利なだけで、自分の人生が長かったか短かったかを判定するのには役に立たない。100歳まで生きていても「ついこないだ還暦になったとおもったのにね」と40年間が一緒くたになっているかもしれない。

人生なんてそんなものといえばそれまでだけど、そんな人生時間圧縮の力学にあがなうことはできないものか。

そのためには、元気でいられる毎日に感謝をして、目の前の一瞬一瞬を大切にするようにするべきなのだろう。ただし、それはアクセクいろいろと積み込むということではない。それでは時間の流れの加速度を大きくする力学だ。「時間が足りない」と思うことになる。

むしろ逆で、何もない時間に意味を見出すのが大事なのだと思う。何気ない日常の解像度を高める。そうすれば圧縮しにくくなるし、その積み重ねが人生を振り返ったとき「いろいろあったよね」になると信じたい。

目に見えるものなどたかが知れている、とよく唄に出てくる。それはポエティックなものと捉えていたけど、そうでもないらしい。宇宙ではダークマターが星の運動を支配しているというし、毎秒わたしたちの身体を何兆個もニュートリノが通過している。物理的にもこの世界はそうなっている。それらがぼくらの身体、ひいては人生に影響が全くないわけがない。

一見、空っぽなこと、無に見えることに実は意味があることを発見できたら、より世界を楽しめる、そんな過ごし方もあるはずだ。