次女なりの等式、不等式

話す内容が少しずつ複雑になってきた次女。頭の中もそれだけ考えることができるようになったということが分かってきてうれしい。

最近、彼女の思考で「等式や不等式を使ってる」と思うことがある。

例えば、この間お風呂のなかで娘二人をお風呂に入れていて、それぞれママ似かパパ似かの話になった。長女はだれからもママ似といわれるのに対して、次女はどちらかというとぼくに似ている。それが現実だ。

なので、その事実を伝えると悲しそうな顔になり、自分も「ママ似がいい」と泣いた。パパ似はいやなのである。分からなくもないが、パパとしては複雑な気持ちである。意地悪だけど、パパも悲しいことを表現するために嘘泣きをしてみた。「パパ似がいやっていわれて悲しいな」と。

まさかそんなことになるとは次女も思ってなかったようで、一瞬、鳩が豆鉄砲くらったような顔をして泣き止んだ。かとおもうと、我に返ったようにまた泣き始める。ママ似がいいのは変わらないのである。引き続き試しにパパも泣き続けていると、少しは同情してやろうという気になったのか、「ママ似とパパ似がよかったの」といいはじめる。

さらに、「パパとママは似てる?」という。なるほどP(パパ)=M(ママ)ならどちらに似ても同じだ。

別の日。

「イノシシとクマは、どっちが強い?」と質問してくる。「どっちも強いんじゃないかな〜」とお茶を濁していると、じれってーなお前みたいな顔になり、「じゃ、イノシシと会うのと、クマに会うの、どっちが怖い?」と質問を微妙に変えてくる。なるほどそう訊かれたら答えやすくなる。それだとクマのほうが怖い。イノシシも太ももの頸動脈を牙で狙ってくるらしいので怖いけど、木に登ればよい。パパにとっては、I(イノシシ)<K(クマ)なのがわかればそれでいいらしい。

しかし「イノシシと鬼はどっちが強い?」とも訊いてきた。これはわからない。

算数は勉強して何の意味がある?という話はよく聞くけど、考え方としては3歳時も知らず知らず使っているわけで、それが教科書や授業になると急に身近じゃなくなるだけなのかもしれない。算数だって、日常的な思考なのだな。