その日がゴールではない

昨日、ママ友から教えてもらったことがあった。10歳くらいの子が家で間違ったことをして、注意する場合。子どもは反発していうことを聞かない。親もエスカレートして、「わかった」と言わせようと怒る。ますます子どもは意固地になる。

子どもが成長して、意志をもったらどこのご家庭でもあるであろうこの風景、小学校の先生に相談したら「お母さん、その場で子どもを納得させようとがんばってませんか?子どもは大きくなるにつれ、気づくものもあるのです。大人になったとき、いま親がいっていたことを『こういうことだったのか』と気づいて、ちゃんとした大人になる。それでいいのです。もっと気楽になってていいです」と教えられたそうだ。

目からウロコ。なるほどそうなのか。自分だって親の教えはあとから学んでいたはずで、その日を更生のゴールにしなくたっていいのか。

大きくなると、すれ違いのテーマが価値観の相違、に関わってくる。よくバンドが解散しているやつだ。大人でも調整は難しい。親がこれまで経験して知っている世界と、子どもが見ている世界は違う。だから子どもは親の言うことが理解できない。親も子どものことが理解できない。だから、理解を助けるには二つのステップが必要なのかもしれない。一段階目はなぜそういうことをいうのか背景をお互い言い合う。そうすると、お互いの世界に対して少しは具体的な想像ができる。二段階目に、その背景を踏まえてのお互いがいいと思うことを話し合う。それらを伝えあっておいて、これから先、我が子の世界が自分のものと幾分か重なれば、いつか「そうだったのか」とわかる日が来る。そうじゃなきゃ、こない。

自分も振り返ってみたら、いまだに親から「あなたも将来、分かるわよ」と言われて、そのとき「ふざけんな」と反発して、いまだに違うと思い続けていることもたくさんある。

でも、親としては子どものことを心配して、というのが根っ子にある。よかれと思ってベストをつくして躾をしようとしている。それゆえに親も意固地になったり、逆にタチが悪かったりするのだけど、ゼロ段階として、それをまず伝えてもいいのかもしれない。親は敵ではない。良薬かどうかわからないが、苦い思いをさせたくて口に入れようとしていない。そして最後は「あとは自分で決めな」と選択肢を与えることなんだろう。

気をつけなきゃいけないことは、親は子どもより「世界を知っている」という思い上がりなんだろうな。確かに子どもより広いのだけど、知らず知らず凝り固まったモノサシで世界を見ているかもしれない。子どもに、フレッシュで柔軟な世界の捉え方を助けに親も世界が広がればwin-winになる。

築40年のプレハブで焼肉とビールを楽しみながら。これまでのぼくの子どもたちへの躾を反省した夜。