参観日

息子の参観日に夫婦で行く。体育の授業。体育館で体操をやる。普段の教室の授業よりも見応えがある。自分の息子が常に動いているから。教室だと先生の話ばかりだから眠たくなっちゃうのよね。午後一だから。

跳び箱とマットをせっせとみんなで運んで段上前転なる技を次々披露したり、普通に飛んだり。跳び箱もマットも30年前とほぼ同じ仕様。あのマットの厚さや素材って、あれがベストなんやろか。やや固くて冬は冷たい。柔道着みたいな厚手の汗を吸わなさそうな布。もっと柔らかいけど撥水性があり、フカフカなものに進化してても良さそうだけど。

息子が、跳び箱の横に転落した人のためにマットを二つ折りにして敷くときに、折ったマットの両端の先が揃ってないと気持ち悪かったらしく直している。横のレーンでは、ばさっと大雑把に折ってそのまま置かれている。そういうところは細かくてキチっとしたい子なんだな。こういう仕草を垣間見ることができるのは参観日の醍醐味だ。息子の普段家ではみない側面でもある。家では服も脱ぎっぱなし、字もノートの罫線から自由にはみ出すのに学校ではなぜだろう。

そして普段家では長ズボンなので短パンに素足の息子を久しぶりに見る。風呂では気づかなかったけど、すねも太ももも細くて膝小僧の方が太い。関節のほうが太いなんて虫の脚みたいだな。身長はクラスで2番目のようだけど華奢で頼りない。栄養足りてるか心配になる。確かに大食いではないし、お菓子もそんなに食べないし太る要素はない。それでいてスポーツ大好きでいろいろやっているから、そんなものなのだろう。マラソンを控えた父ちゃんには非常に羨ましく見える。ツルのようにヒュルヒュル伸びそうで成長期が楽しみだね。

教室に戻ると廊下に好きな詩を選んでそれを書写したものが飾ってあって、息子のタイトルは「人生」。開くと「人生は普通がいい」とか「人生はマラソンだ。我慢して我慢して拓ける」とか実にオッサンくさい、新橋の高架下でサラリーマンが酔っ払いながら言っているような渋い言葉が並んでいる。まだ酸いも甘いも知らないマッチ棒のような少年には似合わないが、何か感じるものがあったのだろう。あとでどうしてその詩を選んだか聞くと、「何か棚にあって、適当に選んだ。時間なかったし」とあまり理由はないそうだ。まぁそんなところだろう。「いやお父さん、あの言葉にいたく感じ入りまして」と返ってきたほうが心配になる。