いやなことないか

寝かしつけているとき、次女にときどき、「保育園でいやなことない?」と訊く。「ないよ」というときもあるし、少し考えてから「Sくんが、叩いてくる」と報告することもある。昨夜は「ギってやるよ」という。「『ギってやる』ってどんなこと?」と尋ねたら仕草で上着の首周りのところを引っ張ることらしい。

「やられたら、泣くの?」

「泣くこともあるよ」

「先生は知ってる?」

「うん。S君、怒られてるよ。一緒に遊びたかったんだって」

3歳とはいえ、次女に手をあげる男がいるとはフツフツと怒りが沸いてくる。妻は「またはじまった」というかんじで冷めている。

「パパ、怒っちゃうな。今度そのS君を怒っていい?ふみつぶしていい?」とかいうと「いいよ」と次女。「ふみつぶす」という表現が面白いようだ。

妻によると「パパがそういう大きなリアクションをするから、面白くていうんだよ。ほんとうにやられてるかは、分からない。」次女だって同じようなことしてるかもしれない、だそうだ。「3歳なんてそんなもん。」目くじら立てても仕方ないという境地。

なるほど、ぼくが煽っているのかな。確かに、次女もぜんぜん「嫌そう」ではない。もう割り切って、過去の済んだことを語るように淡々と答えてるし、ただ単にぼくのリアクションを楽しんでるようでもある。

でもね、以前も同じようなことがあったので、先生に次女が手を出していないか聞いてみたことがあるのだよ。「手を出すことはないですよ。言葉はきついですが(笑)」との返答。じゃぁ一方的に手を出されているんじゃないか。やっぱり怒りがこみ上げてくる。

引き続きぼくは怒りを表して、そのS君への復讐をあーだこーだいっていると、横で聞いていた長女が「S君も、生きたいんじゃない?」と真顔で言ってくる。

あまりにもストレートで全うな言葉に、ぼくもいきなりクールダウン。金八先生の前のヤンキーのようにおとなしくなる。

冷静になって「S君にも、パパとママがいて、悲しむよね」というと、「パパ、S君ふみつぶしたら、S君のパパとママからすごい怒られるよ」と言われ、暴力による復讐の連鎖を悟らされる。まったく。こんな調子では大きくなったら娘に振り回されることが目にみえている。

 

寝床で繰り返していう言葉がある。保育園が楽しいかをきいて「うん」と確認したあとで、「お友だちがいやなことはしない。お友だちが喜ぶことをしてあげなさい。」というもの。最近は次女もその心得を意識したらしく、続けて「おもちゃを貸してあげたりとか?」と具体的に挙げられるようになった。

昨日もそのくだりをしていると、「家をあげたりとか?」と続けてきた。

「うーん。家をあげたら、住むとこなくなっちゃうよ」とそれは同意しかねますというニュアンスで伝えたら、「いいの。そしたら家をもうひとつ作ればいいじゃん」との思わぬ返し。

この小さい家の3歳児には似つかわしくない大富豪が口にするような太っ腹なスケール。そして思い知る自分の小ささ。恥ずかしくなる。この子にはまだそれができるようになる可能性もあるかもしれないから、ここで否定はしてはいけない。

ということで「なるほど。そうだったね」と納得したふりをする。大きくなってくれ。そして友だちの前に、パパに大きな家をくれ。