合わせていくつ

バスケから帰ってくると、長男と長女がダイニングでまだ起きていた。机にむかって公文をやっている。長女は算数の教材を先生から試しにもらったらしく、足し算をやっている。「10+10」とか「10+11」とかが並んだ紙。
「むずかしいっていうから、教えてるのだけどわからないんだって」と長男。
「筆算とかで教えてるんだけどね。1+1=1っていうんだよ。」

そもそも5歳はそもそも足し算がなんたるかをわからない。数をやっと覚えたて。そりゃ無理だとアプローチを変えて教えてやることにする。
でも時間は22時を過ぎているし、お風呂に入れてほしいと次女を寝かせる妻から言われているので、お風呂で教えることにする。

「おはじき、もっておいで」

長男はそれをきいてなるほどと思ったらしく、おはじきを30個用意してお風呂に3人で入る。

湯舟につかりながら、おはじきをつかって、赤、緑、ピンクそれぞれ10個ずつのおはじきで、10個と10個は合わせていくつかな、をデモンストレーション。長女に数えさせる。そしたら10+10から10+19,そして10+20がいくつか見事にいえるようになった。
ほら簡単だろ、ということでお風呂からあがって、公文の紙にもどり、「じゃ、『10+13』をやってごらん」と促したら、長女はまた石のようにかたまる。

「さっきお風呂でやったの、覚えてる?」

「わたし、すぐわすれちゃうんだよね〜」との返答。さっきは流れでうまく導いたけど、まったく頭では理解していなかったのだろう。

これくらいのことで親はくじけちゃいけないと自分に言い聞かせて、今度は紙に書かせてみる。

「◯を10個、描いてごらん。」

長女描く。

「次にもう13個、描いてごらん」

時間がかかる筆が進まない。数えることもおっくうになってきている。

このやり方じゃダメだとわかり、もう一度おはじきに戻る。

10個のかたまりをつくって、別に13個のかたまりをつらせてみる。1、2、3と順番に数えるので、けっこう時間がかかる。そもそも、もう眠い時間だし。続けようかやめようか迷うところだけど、なんか考えてはいるみたいなので続けてみる。
おなじおはじきを2回数えそうになって、混乱しはじめている。8個なのに11個だと思っている。数えたやつを横によけたほうがいいね、とアドバイス

なんとか10個と13個のグループができる。

「んじゃ、10と13を合わせたら、いくつかな。」ここまでくればもうできるだろう。

ひとつ、ふたつ、と全部を数えようとしない。じーっとしばらく考えて、「13」と答える。

むむっ。何がわからないのかわからない。ここで「違うでしょ」は禁句だ。算数はこうして苦手意識が芽生えて「むずかしい」となって、嫌いになる。

では身近な題材をもってこよう。
「年長のクラスは10人います。長女の年中のクラスは13人います、そしたら、二つのクラスを合わせたら全部で何人いるかな?」
これならわかるだろう。
しばらく考えて、これまた「13人」と答える。

なぜだ。お風呂の中のスムーズな流れはなんだったんだろう。

同じ説明を繰り返す。そして同じことを問う。気をつけてはいても、ぼくの口調も余裕がなくなり、厳しくなってしまっている。敏感な彼女はそれを察知して、顔がどんどん曇ってくる。この空気はまずい。

顔がうつむき、手元のおはじきをあてもなくいったりきたりさせる彼女。明らかに行き詰まっている。

もう一度、おはじきを見つめている手つきをよくみていると、最初の10のグループに、13のグループから3つを動かして「13」をつくっている。

なるほど。「10と13を合わせて」が、混乱させているのかもしれない。彼女の中では、「合わせる」というのは、1つと1つが合体して1つになっているんだ。団子が一つあって、それに団子を1つ合わせたら大きな団子1つになる。そのときは「1+1=1」になる。

だから、彼女の中では「10+13=13」。「合わさって」いるから。

「足して」という表現がわかりにくいから、言い換えたのがアダになった。「全部で」というべきだったのだ。

そこで、「年長さんのひとりと、年中さんのひとりは別の人でしょ、合体しないよね?」というと少しはイメージできてきてみたい。

その壁を親子で乗り越えて、ようやく彼女は「10+13=23」といえるようになった。

彼女は何も間違っていなかった。「合わせて」の素直に言葉の意味を考えて、ちゃんと考えていた。「この子、ものわかりがわるいかも。数は苦手なのかな」と言葉にしないけど、途中で思ったパパのほうが固定観念に縛られていたのだね。

算数の面白さは、正しい答えを導くテクニックにあるのではない。真理に近づく考え方にあるんだし、彼女の方がよっぽど厳密で、理系的なのかもしれないと気づく。小学校に入って、たとえいろいろ計算でつまづいても、ちゃんと励ましてあげられる手がかりをつかめてパパはうれしい。娘を教えながら、父も学ぶ。