長女とピアノ

妻と長女が練習するからと電子ピアノがダイニングに運ばれてきた。窓を塞いで手狭になったが、楽しそうに練習しているので仕方ない。

パパが仕事帰りにご飯を食べていると、横で「パパ、何を弾いてほしい?」と楽譜をめくりながら長女が聞いてくる。「マクドナルドおじさん」とか、中には聞き慣れた曲もある。はじめたばかりとはいえ、もう楽譜で何が何かわかるようになって、両手を使っている。充分すでに追い越されておる。パパができないというと、「教えてあげるからやってみ」といって弾くはめになる。鍵盤をたたくのはいつぶりだろう。保育園と小学校低学年のとき、母に無理やり習わさせられたときの記憶が30年ぶりくらいに蘇ってくる。近所の友達と遊び、動きたい盛りであっただろうぼくは、ピアノは性にあっていなかったらしく、どうやったら休めるか、やめられるかばかりを考えていた。今思うと、一生懸命教えてくれようとしていたお姉さん先生たち、最初はヤマハ音楽教室の先生、次は母がやっていた塾の教え子のお姉さんに申し訳ないことをした。

小学校1、2年のころのお姉さんの先生に習っていたとき、ぼくがやっかいになっていた祖父母の家に来て教えてくれていた。ある日のレッスンのとき、家にはぼくだけで、レッスンの時間まで隣近所の当時の親友のヤッチャンの家に遊びにいっていた。ピアノの時間になっても、ぼくは楽しくてやめられず、帰らなかった。

すっかり夕方になって家に帰ったら、玄関に先生から手書きで置き手紙があった。「家にきてみたけど、いないので帰ります。次までに、どこどこまで練習しておいてね」としたためてあって、文字から、文面からすごく寂しそうな気持ちが伝わってきて、とても悪いことを自分はしたのだと気づき、恥ずかしくなって玄関で呆然と立ち尽くした。先生は、たぶんぼくがピアノが好きでないことをすでに知っていて、母に言われてあの手この手でやる気を出すようにしてくれていたのだとおもう。最初は先生の家だけど、お腹が痛いやらなんやらで休むから、最終手段で家にまで訪問してくれることになり、そしたら逃げたという始末。

罪悪感に苛まれながら、これは母にバレたらとんでもないことになると察して、ぼくはその手紙を握りつぶして、お茶の間のゴミ箱に捨てた。

その後、少し頭が冷静になってきた。手紙を捨てたとしても、きっと母と先生は連絡をとるだろうからバレる。「手紙を見せろ」とも言われ、捨てたことがわかったらますます大目玉になる。さらにまずいことをした。

ゴミ箱から手紙を取り出すと、すでにくしゃくしゃで破れかぶれになってしまっている。どうする。

当時のぼくが考えたのは、模写による複製することだった。茶の間から似たような紙をさがし、そこに同じようなペンで、先生の字体を真似て必死に書いた。自分のものではない、別人の書体を書くのは初めてだ。なかなか一緒にならないものだなとおもいながらも、何となく似てる気になってくる。15行くらいあったように思うその全文を書写し終える。これならバレまい。

怒りと失望に苛まれた母を迎え撃る。もちろん、子どものそんな小細工が通用するわけはなく、全てを見抜かれのび太のように大目玉をくらった。

楽譜は覚えてないけれど、あの罪悪感や罪を隠そうとする必死な記憶は未だに覚えている。そして、大人をごまかすことはできない、悪あがきをしても無駄と少年が悟った日でもある。長女のおかげでピアノの楽譜を眺めながら、そんな当時の生々しい記憶が蘇ってくるのであった。だからぼくは楽譜を眺めるとつらい気持ちになるのか。

長女のリサイタルはその後も続く。食事をしながら我が子の生演奏を聴けるというのは思いようによってはものすごい贅沢な夜。

彼女はぼくとはちがって、まっすぐピアノが楽しそうだ。何よりである。