息子の誕生日

息子が9歳になった。前日は普段は買えない牛肉のステーキとケーキでお祝い。当日は回転寿司。プレゼントはずっと迷いつづけていた二択、ドローンかラジコンかで、ドローンに決める。どれがいいか、一緒に検索。おあつらえのものがみつかる。

前日。ケーキを食べる前に長女はその日、町会の運動会で体力を使い果たしたのだろう、先に寝てしまう。日中にみんなをお風呂に入れておいてよかった。食いしん坊の次女は起きている。ロウソクを次女が先に吹いて消そうとして止める。

夜更かししても、息子はサッカー教室でかいた汗を流してほしいからお風呂に入れと促すと、気がつけば次女もいつのまにか裸になって一緒にお風呂に入っている。妻が次女は入らなくていいよ、と風呂の中の次女に話かけるけど、「なんで!?」と不思議そうに大きな声で返ってくる。「さっき入ったでしょ」といっても、息子もそうだった。混乱しながらも、しぶしぶ脱いだばかりの服を着る。自然と兄についていく妹。彼が優しくて楽しい存在だからだろう。

息子はその運動会でパン食い競走が最下位だった。パンに行くまでは速かった。でも、みんなが先にチャチャっとパンをくわえて駆けていくなか、横からしかくわえようとせず、ずっとブランブランと揺れるパンに四苦八苦。彼のせいで次の組のスタートも遅れている。下手だなぁ〜と笑いながらシャッターを切る。ワニのように、下から大きな口でいけと教えとくんだった。でも、別に楽めてていれば、それでいい。友達がたくさんいることもわかった。

週末は近所の友達の家に遊びにいったり、家にいない時間が増えた。家族以外のつながりがが広がっている。自分もそうだったように、この変化は不可逆で、きっと、戻ることはない。

でも、家の役割が弱まってるとは思わない。ゴムが長く伸びるには杭が必要だし、緩むときはそこに戻るように、家は彼にとって帰る場所として存在しつづけてあげたい。手がかからなくなり、自分の意志で行動を選ぶようになり、親の価値観からはみ出たくなり、言葉を交わさなくなる。そんな健全な成長にともない、表面上は薄れてゆくであろうこの関係も、無意識下では強く影響を与えつづけるはずだ。

公文かなんかで『坊っちゃん』の存在を知り、ぼくの本棚にあるのをみつけて嬉しそうに読み始めた。そう、そんな間接的な影響の与え方に、徐々にシフトしてゆくのだろう。寂しいが、それでいい。元気に大きくなってくれれば親にとっては十分な親孝行なのだから。

まだ、寝床に行くとき「一緒に寝んねしよ」と誘ってくれる。