宿題と小言

小学校に入って、当然だけど宿題と向き合うことになる。「宿題」。なんとも窮屈な響き。本当は遊びたいのに、自由を奪うかんじ。「しなさい」という圧力。作用反作用は普遍の原理、遊びたい盛りの少年は自ずと勉強を遠ざけようという心理がはたらく。「宿題やったら遊んでいいよ」。つい口にしてしまうこの言葉。宿題からしてみたら、なんなんだよその差別、ってな最低な言葉だろう。宿題は遊びにならんのかい。子どもからは常に疎まれる存在かい。

父親として、決めていることがある。「勉強しなさい」は子どもにはいわないこと。ぼくが親から何百回も言われて、苦しかった言葉。小学校の頃はまだ素直に聞くこともあっただろうけど、反抗期の中学校3年から高校のときはひどかった。言われる度に、もっとしないでやろうという不服従マインドがエスカレートして、親の心労は絶えず、親との心理的な距離はどんどん離れ、結果、親不孝をした。

「勉強をしなさい」という主張には、「なぜ」を与えるのがとってもむずかしい、とぼくはおもう。小学校中学校は義務だから、というのはあるのかもしれない。でも、それは本人が決めたことじゃない。

とはいえ、なぜ学校という建物があって、先生がいて、教科書がタダで与えられているかは説明するようにしている。それが与えられるために、世の中の大人たちはどれだけ一生懸命働いているか、それを説明するのは義務な気もする。世界的にもとても恵まれているはずで、見やすく図があり、しかもカラー印刷されている教科書のありがたみは知ったほうがいい。

 

先日、息子とプノンペンに行った。そこで、公立の学校にさえも通えない子どもたちが通うプライベートの学習支援の施設にいく機会に恵まれた。名前は「ひろしまハウス」という。設立時は広島県広島市が前面的にバックアップし、今の運営資金は広島の市民団体から出ている。原爆と大量虐殺という悲劇を体験した2つの都市の交流。建築の設計は建築家の石山修武さんで、聞けば石山さんの最高傑作といわれているそうな。当時早稲田の先生で、建設時は建築学生がボランティアで次々召喚され、レンガを手でひたすら積んでできた建築。斜めの柱、浮いた屋根。造形的にむちゃくちゃかっこいい。10年前の完成だけど、昔からある歴史遺産のような迫力がある。窓はなく、壁と屋根は縁が切れているから全体が半外部のような空間で、強いプノンペンの日差しがあちこちから光の塊となって降り注いでくる。屋上のテラスでは風が通り、屋根の日陰でスズメが羽根を休めている。心地よいのは人間だけじゃないのだろう。ちなみにジェネラルマネージャーのともひろさんは、プノンペンのプロサッカーリーグで現役で活躍するバリバリのサッカー選手。

そこでは日本語の授業も行われている。「わたしは すしが だいすきです たかいけど おいしいです」小さなわら半紙に、書いてあるひらがな。それを精一杯の大きな声で数十人の児童が読み上げている。勉強を楽しんでいることが、ひしひしと伝わってくる。卒業生には大学で日本語を専攻したり、日本語教師になった人もいるらしい。海外の人から日本に憧れがある、といわれると素直にうれしくなる。

大きな声に圧倒されながら、学ぶってこういうことなんだな、とまざまざと見せつけられた。この学校もタダだ。でもこの環境のありがたみを、きっとこの子たちはわかっている。授業のあと、テストの成績順にノートや鉛筆がもらえる。うれしそうに、目がキラキラしている。ここには、「なぜ」がある。希望だ。

息子がどこまで彼らのひたむきさを目に刻み、何を感じてくれたかはわからない。でも、日本に帰ってきてからも、「わたしは すしが だいすきです」と時折口にして、「あのひろしまハウスの子たち、すごかったよね。おれ、クメール語で同じ言葉はなせないもん」と感心しているところをみると、よほど印象深かったのだろう。日本語が逆輸入されている。

とはいえ、かといって帰国後すぐ「じゃ、おれもがんばって勉強するわ!」となるわけがない。連休を遊んで過ごした息子は公文の宿題がたまっていて、夜遅くまで机に向かっていた。水泳のあとだから、眠たそうに目をこすったり、スカスカの前歯を気にしたり、ヘソをいじったりしている。だめだこりゃ、とおもったので風呂に入って早く寝ろと促す。「いや、やる」となぜか強情を張る。ここでも作用反作用。そしてまたぼーっとしている。やれやれ。

それでも、なるべく「やれ」とはいいたくない。「決めたなら頑張れ、応援する」や「やらないならお金もったいないから、やめろ」はいう。かすかな違いでしかないけど、義務や強制のかんじで勉強させることに至るのは、しない子より、親に原因があるはずだ。希望を与えれば動機は生まれる、とプノンペンでぼくが教わったこと。100回の「勉強しろ」より、もう一回ひろしまハウスに連れていくほうがよかろう。

だからいわないぞ。むしろ、あくびをする息子に「勉強はもういいから、とっとと寝ろ。」と声をかけよう。コイツが大人になっても「仕事しろ」というより「仕事はもういいから、とっとと寝ろ」という親になってあげたい。何はともあれ元気にやれ、それが親として一番の願いだし、「するな」という環境のほうが、実際はしてたりする。

それに希望を見出すのは言葉ではなく、やっぱり体験なわけで、部活とかに拘束されるまではできるだけあちらこちら連れ回して世界を広げてあげたい。楽しくなって好きになる、そして希望を持つ。目指したいのは、そのサイクル。