「泣いた赤おに」でうるっときた父

長男の六年生の送別会でやる出しもののリハーサルが見学可能ということで、見にいく。

「泣いた赤おに」という話をずらっと学年全員が舞台にならんで、ソロだったり全員だったり大声で台詞をいう。時々歌もある。軍劇?群劇?とかいうそう。みんな制服で、気をつけ。揃っている。はみ出すのが許されない緊張感が漂い、統率がとれている。これまでよっぽどご指導されたのだろう。

 

保育園のころにあったほのぼの感や、伸びやかなかんじはもはやない。

小学校に入ると、とたんに個性がみえづらくなるもんだなぁ。

「こうすべき」というあるべきモデルがあって、その「正解」に近づくよう教育され、同時に管理もされている。なので、こちらとしてはお行儀のいい姿はみれても、生き生き躍動しているかんじはないので、あまりしっとりこない。保育園のときは、出し物といえば父ちゃんファインダー越しに涙流れてよくみえない、だったのに。一生懸命さは

同じはずなのにな、なにかが、ちがう。パーツになったな、というかんじで、「らしさ」が見えにくくなっているからなのかもしれない。だから個としての「成長したなぁ」が伝わりにくい。

 

劇はつづくものの、息子のソロパートがあるわけでもなく、そんなことをぼ〜っと考えながら、妻から頼まれたカメラは回しつつ、ストーリーが頭に入ってこない。

 

ギャラリーは舞台から遠いので、表情はよくわからない。カメラのズームでたまにみると、真剣な顔つきでまじめにやっている。全体的にも誰一人「やってらんねーよ」がなくて、ちゃんと、ひたむきにやってて、二年生らしい健気さに心洗われる。先生はピアノ脇でずっと手拍子して、何か声をかけている。六年生にいいものを見せて、気持ちが伝わるように、一生懸命指導されてきたのだろうな。これだけの人数を束ねて一つのものに仕上げるのだから、プロはすごい。自分が子どもの時も、こういう出し物あったのだっけな。残念ながら記憶にない。

 

劇が終わったあと、少しの六年生への「贈る言葉」みたいなのもある。お世話になりました、ありがとうとか。なんか懐かしい。これは覚えてる。「未来に向かって、進んでいってください」とか大人びたセリフも。

 

1回目が終わって、先生から「95点。まだ声が大きくなるはず。ピアノともずれていた」みたいなダメ出しがある。なんかこれで十分な気がしたのだけど、この学年だとここまでできるはず、みたいな水準があるのだろう。もう1回やるらしい。

「明日の本番の前の、最後の練習よ。」

 

せっかくだし、息子の立ち位置の真正面からファインダーをのぞくことにした。

泣いた赤おにの話は青おにとの友情の話。相変わらずストーリーは頭に入ってこない。

ときどき、カメラをズームにして息子の表情を確認したり。でもモニターがズームのときはなぜか動画が録画できないので、すぐにやめて録画をしたり。真剣な表情に変化はない。

 

最後はしっとりした感じで感動的な場面。フィナーレは歌で、「君の幸せがぼくの幸せ」というのがサビのフレーズ。何度も繰り返される。赤おにが青おにに向かっていっているか、またはその逆のようだ。

みんなの声のどこかに、150分の1くらいの、息子の声があって、「君の幸せがぼくの幸せ」と歌っている。ふーん。

 

2回目が終了。一同体育館から出る。子どもたちは教室へ。大人たちは帰る。校門から出たとき、自然とフレーズとメロディーを口ずさんでる自分がいた。ストーリーはぜんぜん入ってこなかったのに、無意識に胸にしみていたようだ。意外。こんなありきたりな言葉、普段は冷めて聞き流すのに。

こうしていちいち出し物に顔をだし、子どもの姿を見に行くのは、子どもの姿を見ることが「親にとっての幸せ」だからに他ならない。「子の幸せが、親の幸せ」なわけだ。その胸中を、息子に歌われた気がして、不思議なかんじがした。

 

退場のとき、先に子どもたちが体育館を出る。出口の脇に立って見送っていると、息子はぼくを見つけて、少しはにかむ。周りに気づかれないくらいに少しだけ、手を上げてバイバイをしている。歩みはもちろん止めない。保育園のときは、「パパ〜」と大きな声を出して駆け寄ってきていたのに、羞恥心がそれなりに芽生え、空気を読んでいる。家族の殻から出て、社会化されたかんじ。少し物足りなくて寂しい気もするけど、それも成長だ。そしてその表情に、すこし達成感もみえた。沢山のセリフを覚え、がんばったんだな。舞台は遠いし、人数多いしよくわからなかったけど、いろいろ大きくなってるんだな。

 

まだ親が見に来て嬉しいのは救いだ。夕食時に素直に褒めてやると、妻が「見に来てくれたら、うれしい?」と息子に聞いた。「うん」と頷く。やがて、ニキビが出始めたころ、「見に来んな」になるのかしら。先のようで、もう5年くらいかとおもうと切ない。

ぼくの父は参観日、運動会、卒業式、一回も見に来たことがない。それが当たり前だったから当時は何も思わなかったけど、ぼくは行かずにいられない。この違いはなんなのだろう。