5円の執着

夕食の買い出しに、スーパーに行く。このスーパー、5時から6時は駐車場が殺気立っておる。200台ほどの駐車スペースがあって、容量は十分なのだけど、誰しもスーパーの入り口に近くに停めたい。なので、入り口近くの30台分くらいのスペース、もちろんいつも満車状態なのだけど、そこに出ようとする車、入ろうとする車が入り乱れ、我こそは先にと出る車を目ざとくみつけ、前後左右から入庫したい車が縦横無尽に押しかける。敗れた車は他に回る。何回もその戦いにやぶれ、駐車難民になることもしばしば。さらに歩行者もいるのだからもう大変。神経を使う。妻はこれがいやだから、このスーパーは敬遠気味。でも節約主夫の親友、ポイントがここは子ども3人いたら倍をつけてくれるから、どうしても行ってしまう。資源ゴミもいつも捨てられるのも大きい。

今日は誰でもポイント5倍デーらしく、いつもよりさらに混んでおる。うぎゃー。

 

秋になり、魚のラインナップが増えてきた。うれしい。今日も魚料理だぞ。

地元産のカレイにハタハタが安い。それにしよ。ハタハタ大好き。焼こうかな、煮ようかな。マグロや鯛は高いので断念。

それと明日の朝のためのバナナ。バナナにも3種類くらいあって、値段が違う。一番安いやつで十分やろ。桃と梨が玉座に座ってらっしゃり誘惑してくるけど、1個300円だなんてもう恐ろしくて食べられませんわ。そんなの食べられるのは骨でも折って入院したときだけだ。

6個入りのオレンジで我慢しよ。妻がビールを毎日一口くらいのむので、ビールも6本セットを買う。スーパードライより、一番搾りが80円安かったからそれにする。だいたい、今日はこれで3000円くらいになるはずだ。最近はカゴをみればいくらくらいかわかるようになってきた。予算の範囲内で1円でも安さを追求しつつ、そのなかで最大限の豊かな食卓の追求。毎日これに頭と身体を使うのだから主夫も大変だぜ。これまで「仕事する>家事する」だった自分が恥ずかしいね。これも立派な仕事。家庭内のインフラ。やっとわかったよ、わたくし。

 

レジも案の定混んでいる。一つのレジに3人くらいが先にいる。どこが速く流れているか、このあたりの見極めもだいぶ身についてきた。まずは当然、並んでいる人のカゴの中身の量をそーっとチェック。あまりジロジロみない、ここ重要。百戦錬磨の主婦さんたち、どこも山盛りで大差ない。次に見るべきは店員のスキルだ。

いた!

この時間は最強レジ男、店長がたいてい、どこかにヘルプに入っている。この店長の手さばきが好きだ。カゴから商品を出し、バーコードにかざし、必要であればビニールに入れる。その一連にの動作に全くムダがない。しかも、カゴからカゴへ移す際に、移された先へのカゴの商品の最終的な収まるレイアウトが美しい。スキルフルかつスピーディー。間違いなく、ここが一番はやい。

あっという間に次が自分の番になる。このスムーズな流れを乱さないように、予めクレジットカード、ポイントカード、そして3人子どもがいますよカードの3枚セットを用意する。ポイントカードが多すぎて、いつも見つけるのに苦労する。

 

と財布をいじっていたら、足元に5円玉がコロリ。

あやや、前で会計中のおばさまが落としたか。拾う。おばさまは自分の財布から料金を支払うことに必死で、まったくこっちに気がいっていない。そのままもらっても、バレない、かもしれない。一瞬悪魔が囁くが、当然大人ですから、ジェントルマンやります、はい。

「落としましたよ、どうぞ」

おばさまに渡す。優しそうな、物腰やわらかいおばさま。一瞬アレ?という間があって、「あ、そうですか、それはどうも〜」と受け取る。

いいことをしたぜ。

 

さて、ジェントルマンは自分のカードを取り出す作業に戻ろうか。と、ふと気づく。小銭いれのボタンのすき間から、5円が1枚はみ出して、いまにも落ちそうになっておる。

ん!?いやな予感がする。すごく。

さっきの5円、ひょっとしたら、ぼく、カードを出そうとしたとき、自分で落としたものかもしれない。・・・ってか、ぜったいそうだ。

自分の足元とおばさまとの間にはおばさまのカートが1台あって、ちょっと距離がある。おばさまが落としたなら、おばさまの足元に落ちて、その音がして、コロコロとこっちに転がってくるが、落ちた音のタイミングと見つけたタイミングから推察するに、転がってる時間はなかった。

 

目の前のムダのない店長は、すでにぼくのカゴから商品をバーコードしている。おばさまは会計をほぼ終えてレシートを受け取る段階。

どうする。

「すみません、さっきの5円、まちがってました。あれ、ぼくのです。返してください」

って、言うか?!いうなら今しかない。

いやいや〜、さすがに、それはだいぶややこしい。確かに5円を渡したとき、おばさんの顔には一瞬、躊躇があった。あれは「わたし、うそ、落としたっけ?」という顔だったのか!それでも、ま、このでかい男が迷いなくいうんだから、受け取っとこ。そんなかんじだろう。それを今更覆すなんて。揉めないともいいきれない。

 

断念。5円をあげよう、この知らないおばさんに。おばさん「どうも」って、いってくれてたし、感謝されたじゃないか。

でも、この「どうも」は、「落とした自分の5円を拾ってくれた」の「どうも」であって、「5円を進呈してくれた『どうも』」では、ない。

もしも、ぼくがレジに並んでて、後ろの知らない人から声をかけられて「これ、ぼくの5円です。あげますから、どうぞ、使ってください」といわれたら、「え、マジすか!あ、ありがとうございます!」と、わりと大きめの声で、感謝するだろう。いまの状態は、そうじゃない。軽い「どうも」でしかない。なんか、どこか損した気分の自分がいる。これじゃ、80円安かったビールが、75円しか安くなかったことになる。さっきまで神経つかってた節約の努力が報われない感。

 

そういうわけで、5円を取り返すことはしないけど、「すみません、さっきの5円は、あなたが落としたものではなく、ぼくのでした。でも、あげます。だからその、もういちど、そういう意味で『ありがとう』といってください」って、いうか?

 

さすがに、むりだ。そんな小さい大人、みたことがない。

たかが5円じゃないか。そう自分に言い聞かせて、一足先にスーパーをでるおばさまの背中を見送りつつ、会計をすます。いいんだ、これで。だれにも、迷惑はかけてない。これは、「おっちょこちょい税」だ。ぼくはこのかたちの納税が実に多い。

 

500円玉じゃなくて、ほんとよかった。