さらばカブトムシ

友達からもらったカブトムシの動きが緩くなってきた。カブトムシは夏が終わると死んじゃう。いよいよ、カウントダウンが始まってるのだろう。

 

弱ってるね、というと、長男から、意外にも「逃がす?」という提案が。

顔は心配そうなのと寂しそうなのが入り混じった表情。捕まえたはじめから、決めてたのかもしれない。メスを捕まえれなかったし、子孫を残せないことも、かわいそうだし、という。

 

「カブトムシにとっては、そのほうが、うれしいだろね」

「わかった」

これまでたくさん、カマキリにバッタ、金魚を虫カゴやら水槽で死なせてしまい、土を掘り、埋め、手を合わせてきたもんなぁ。

 

「けど、あと1日、キャンプから帰ってきたら、にしてもいい?」というので、そうだねそうしよう、と決めた。ゼリーを新しいものに入れ替えてやる。

 

キャンプは家からもっと山奥にいった山中。クワガタならまだいるかもしれないと、虫網と虫カゴを持っていく。今年の夏、自分で捕まえられなかったことはまだ心残り。

車で20分くらい。深い緑をかき分け、細い道を登った先にバンガローが連なっている。こんなとこあったのか。天気は快晴。地上は夏の暑さだったけど、遅く始まったこともあり、ここは涼しい。身体が気持ちよいといっている。自然と深呼吸になる。オニヤンマやら赤とんぼがあちこちに飛んでいる。親たちはカレーやナン、串揚げの準備。

 

ぼくはバスケの試合があるので中座。23時に戻ると、まだ長男たちは元気に起きていて、キャンプファイヤーをしている。キャッキャと枝やら葉っぱをせっせとくべては、炎を囲んでいる。

長男がぼくを見つけるとすぐ駆け寄ってきて、「ミヤマおってんよ!あと、コクワのメスも」と興奮している。父ちゃんが車で、虫カゴ積んだままいくから、逃げちゃったけど、らしい。ごめん。でも、そこまで残念そうではない。ギターを歌ってくれていた先生の背中にとまってたらしい。さすが山奥。

結局こどもたちも午前1時頃まではしゃぎつづけて、親から離れ、一つのバンガローでまとまって寝た。

 

翌朝、親より先に起きた長男は、またはしゃいでいて、ミヤマおってんよ!とテンション高い。今度は炊事場の鍋にいたらしい。友達パパが捕まえてくれた。虫カゴも今度はあるので、無事捕獲。クワガタサイズのつかまりやすい枝を持ってきたり、シゲシゲと愛しそうにみてる。長男が持って帰れることになったようだ。カブトムシとの勇気ある別れを昨朝決めてたから、おてんとさまはご褒美をくれたのかもしれない。粋だね。

ちなみにここの蟻も蛾もでかかった。ぼくの体に蟻を這わせて次女と遊んでいると、長男がそれはドウアカアリ?とかいう種類で、噛むといたいぞー、と教えてくれる。もう虫のことになるとかなわない。

 

外に机並べておむすび、味噌汁、梨にコーヒーの朝食食べて、昼前に帰宅。カブトムシがまだ生きているか気になってたようで、すぐ虫カゴを開ける。まだ、ゆっくりだけど、動く。ほっ。さあ、じゃあ逃がそうか。別れのとき。どこにしようか悩んで、庭のサクラの樹に捕まらせてやる。幹に脚6本つかって落ちないようにしがみつくさまは、次女と重なる。そして、動かない。

この若いサクラは樹液がでないから、ほんとはどっかに飛んでいってほしい。でも、動かない。心配そうに、ずっと長男は眺めておる。この家、好きになったんじゃないの?というと、そうかなイヒヒと笑いながら、家から、ゼリーを持ってきて、樹に塗ってあげている。なにか話しかけている。飛んでいってほしいけど、飛んでいったら寂しい。複雑な気持ち。

 

しばらくして、そのうち飛んで行くやろと、そばから離れる。未練はもうなくなったらしい。そうだ新しい住人、うまくいけば冬を越すやつもいるんだった。ミヤマを虫カゴに入れてやる。山奥でそだったこのデカイ奴は、やけに元気で防虫シートに気がついたら絡まっている。

 

いま公文でやってる国語のドリル、「命ってなにか」が読み物で、日野原せんせいが出てきて、「命は、時間だ」と説いているそうな。へぇそうなのか。

 

夕暮れどき。セミの出番は盛りを過ぎて、スズムシやコウロギが大合唱している。過ぎていく夏の、命のリレー。命が時間なら、時間も、命な気がする。

カブトムシ、メスに会えたらいいな。人間めさんざん閉じ込めておいて勝手なこといいやがって、と思うだろうけど。

 

命の尊さが少しずつ、身にしみてきたようで微笑ましい。とはいえ、家の玄関で蜘蛛の巣に絡まったときは、蜘蛛コノヤロー全滅しやがれ、と取り乱してたそうだから、なにもかも、ってわけではないようだ。