ラジオ体操の待ち時間

長男、けなげに毎朝ラジオ体操に通う。ハンコの力ってすごい。父に似て彼も決して朝は強くないけど、ちゃんと起きている。
ラジオ体操は6時半から。会場の近くの公園まではチャリで数分。

大人なら、6時20分に出るだろう。でもこの少年の場合はそうではなく、5時半に起きて、6時前に家を出ようとする。
「いま公園行っても、開始まで30分もあるよ。誰もいないだろうし、待ちぼうけ、退屈じゃない?」と親はついアドバイス。
大人は朝の1分のありがたみを身にしみてわかっている。

「せっかく時間があるなら、溜まっている宿題、その間にやったら?」
でも「遅れたらいやだし、行く」という。いやまだ出なくても絶対遅れないし。「宿題しなよ」と妻は促す。これが賢明な判断というやつ。
それでも「やだ、行く」と宿題から逃げるように出ていった。妻はもう〜、せっかく時間あるのに、今やらないでいつやるのよ、とやきもき。
宿題が終わらないときの大変さをわかってない。緊張感のなさが歯がゆい。

6時50分ころ、帰ってくる。
誰もいなかったでしょ?というと、すぐ友達が一人きたらしく、一人ぼっちではなかったらしい。
「30分、何してたの?暇だったでしょ」
「うん、だからジャンケンしとった」

ジャ、ジャンケンですと・・・。早朝の30分間、ジャンケン。
全く予想してなかったわそれ。クワガタ探すとか、鬼ごっことか、そういうかんじを何となく予想してたわ。
父ちゃんは、朝30分ジャンケンするくらいなら、迷わず、寝たい。
なんて贅沢な朝の時間の使い方なんだ。何回できたかこわくて聞けない。
他に色々できるよな、とか、ジャンケンを繰り返してる間に、考えないものなのかしら。

「楽しかった?」と聞くと、「うん!」と目がキラキラしておる。
本人が楽しいなら、何もいうことはないのだけどさ、なんというか、その、もうちょっと有効に朝の時間使ったら、というのは、余裕のない大人だからなのかしら。
その間に、友情がひょっとしたら育まれているのかもしれない。

今朝は、はじまるまで「ずっと座っとった」といっていた。
しかも体育座り。ぽつんと広い公園に一人座ってラジオ体操を待つ我が子を想像したら、少し心配になる。なんじゃその行儀のよさは。
聞くと隣には友達がいて、友達も体育座りして、おしゃべりしてたらしい。まだそれなら、ありえるのかなぁ。

むかし北京の奥にいったとき、湖だと思ったのが実は川、黄河だった、ということがあった。
子ども時間の流れも、大人のものとはスケールが違う。まぁそんなかんじなんだろう。

自分が子どもだったとき、どうだったかな。覚えてないなぁ。
ハンコは「出」が◯で囲われているやつだったのは覚えてて、このハンコ買ったら来なくていいんじゃないかと子どもながらに思ってたから、
おそらく眠くて嫌いだったのだと思われる。行かされてた感。
それに比べたら、積極的なだけでも、父よりはマシなのかもしれない。

この夏の間に一度くらい見に行ってみよ。こっそり。