鉱山のロマン

週末何しようね、となって、んじゃ、ドライブ行きますか、と先週は北に車を走らせたので、今週は南に行く。
 
科学館にプラネタリウムを見に行く。最近できた施設とあって、会場は子連れの家族でいっぱい。プラネタリウムは『銀河鉄道の夜』をモチーフにした3Dアニメーション。最近のプラネタリウムは凝ってるんだな。妻と長男、長女が観る。ぼくは次女と外で待つ。次女は小さなお気に入りの布のポシェットをぶら下げていて、その中にアメを5個ほど入れている。それをベンチに腰掛けながら、出しては入れてを繰り返し、やがて1つ、ぶどう味のやつを開けろといってくるので開けてやる。今度はあの椅子に座りたい、といって、両手を広げ「あたしを持ち上げろ」の合図。君にとって父ちゃんはフォークリフトとジャングルジムやな。持ち上げて、座らせる。でもこの椅子とテーブル、紙工作をやるためのゾーンのものらしい。テーブルの上に紙工作のやり方と紙とハサミが置いてあって、残りの椅子では小学生くらいのお姉ちゃんと親がいろいろ切り貼りして楽しんでいる。
 
しばらくして、喉が渇いたのか、水筒をよこせといってくる。ふたをあけて、わたす。両手で支えながらゴクゴク飲む。飲むのはうまくなった。が、口から離すときに、まだ傾いてるのに口から離すから、こぼれることしばしば。ここは家ではないし、この紙の工作ゾーンでこぼすと厄介なことになる。だから、早目に水筒を取り上げようとする。予想してたけど、それがイヤだったようで、おい、わたしのティータイム邪魔すんな、とぼくの手を払いのけようとする。無理やり取ると、間違いなく泣く。泣かれるのも厄介なので、ここは引くしかない。こうなったら、「どうかこぼしませんように」と祈るしかない。静観。
あ!少し眼をそらしたすきに、テーブルの上に置こうとしたのか、倒れて水筒が横になる。不幸中の幸いで、残りのお茶は少なかったようで、被害は少ない。けど、テーブルの上に若干のお茶がこぼれ、周りの紙が濡れる。タオルで拭く。おいこんなところでそもそもお茶飲ませるなよ、の視線が痛い。
気まずい空気のなかで、プラネタリウムから3人が出てくる。面白かった?ときくと、妻は微妙な様子。ストーリー仕立てにすることなく、もっとベタ~で古典的な本日の星解説のほうがいいんだろうな。ちょっとメルヘン過ぎたのだろう。でも長男長女は面白かったといっていた。『銀河鉄道の夜』を読んでみたくなったらしい。
 
これだけで帰るのも物足りないので、前から行ってみたかった、かつて地域をさぞかし潤わせたであろうゴールドラッシュ、鉱山跡の資料館に行くことにする。
きっかけは長男が宝石とか、どうやってみつけるのかね、という発言。
 
資料館は山奥。スキー場の入り口の横にポツンと佇んでいて、見るからに地味な施設でっせ、というオーラの佇まい。夏休みだというのに誰もいない。妻は小さいときに一度来たことがあるらしい。こういうマニアックでギリギリそうな施設に、ぼくはやたら萌える。
 
ルビーやらダイヤやらの宝石の採石をみせてあげることはできないけど、銅、銀、石英ボーキサイトや鉛など、身近な鉱石がいろいろ飾ってある。褐色の地肌のどこにでもありそうな岩のところどころに、小さくキラキラ光る銀黒色の金属が正六面体の結晶となって、団子になりながらあちこちベタベタと張り付いている。荒々しい岩肌に対して、その金属の形状はレーザーカッターで切ったかのように整いすぎていて、やたら人工的に見える。へぇ~自然って四角もつくれるんだなぁ。妻も感心しながらみてる。長男はテンション高い。長女もつられてみてる。石英とか紫色の水晶とかがやはり気になるらしい。エルサの家みたいだもんね。次女はあまり意味は分からないけど、展示の石をやたらさわりたがるし、持ちたがる。
 
採掘場の歴史がパネル展示してあって、当時のアナログな道具や機械も陳列されている。
もうびっくり、ものすごいダイナミックな一大施設だったんだな当時。
その鉱山は明治に開山して、山を地下深く、掘って掘って掘りまくって、できたトンネルの長さは全部で160キロ。東京の地下鉄と同じ規模らしい。蟻の巣のように何層にもなって立体的。どうやってここは安全で崩れないとか、判断してたんだろう。資料室にあった手書きの図面とかは、かなりラフだった。この辺の岩は堅いとか柔らかいとかを地図に書きこんだだけ。最後はエイヤーで、ちゃんと判断してなかったのかしら。
だとしたら、地中の奥深く、いつ崩れるともわからない光も空気もないところで、どうやってその不安を克服してたんだろ。トイレどうしてたんだろ。遠い出口まで重い岩を持ち上げて、よく運び出したなぁ。電波も届かないなかで、通信手段どうしてたんだろ。興味がつきない。
 
資料館を抜けると小さな公園があって、両側に山がそびえている。谷間なんだなここ。その先の橋を渡ると、当時の採掘場だったトンネルの入り口がぽっかり穴を開けている。当時のトンネルが、600mだけ現存していて、入って歩けるれるようになっている。入り口の先は当然暗い。お化け屋敷の入り口のような雰囲気。
長男と妻とぼくは喜んで入っていくけど、長女はぼくが抱っこ、次女は妻が抱っこ。まぁ好んでこんな暗いところ入っていこうと思わないわなぁ。
外は真夏だったにもかかわらず、中は驚くほどひんやりしている。暗いけど、涼しいだけで快適。水が岩壁から滴ってきて、足元は濡れている。ときどき顔にも落ちてくる。長女の顔にも落ちたらしく、「もう水滴落ちてきた~」といやそう。そんなことをいちいちいやがってたら、ここで働けないぞ〜。
 
ところどころにマネキンがあって、当時の作業風景を物語ってくれる。チョンマゲでフンドシ姿のマッチョな男性や、頭巾を羽織った着物姿の女性など。
まずダイナマイトで爆発させて穴を開ける。ダイナマイトを背中に背負って列をなして登山をしている絵がある。雨降ったら大変だったろうな。次に、掘ったところに木に支柱を立てて崩れないようにする。さらに、鉱山は湧水との闘いだそうで、水をポンプでひたすら抜く。そこから、やっと採掘のイメージどおりのツルハシを振り下ろして採石。採った岩を選別するのは女性の仕事だったそう。選別された岩はトロッコに詰めて出口まで転がして運ぶ。十分な機械がまだあるわけではなく、当初は大部分が人海戦術。空気は酸欠だけじゃなく、岩の粉塵が舞う。でも吸わなきゃ生きていけない。しかも、真っ暗で湿っぽい。働いていた方々、どんだけ肉体的にも精神的もタフなんだよ。閉所と暗所のダブルパンチ。そういえば資料館に労働者に支払われた損害賠償の書面も展示されてたな。対照的に、鉱山を開いた鉱山王おっさんは血色がよく高そうな着物を着こみ、当時限られた人しか撮影してないであろう立派な白黒写真でさぞ満足そうな笑顔を浮かべてらっしゃた。
 
グーニーズの映画を思い出す。壁も天井も本物の岩。天井高も道幅もは2mあるかないか。300mくらい進んだところで、ぼくはもう光が欲しくなって、早く出たくなる。でもそれを口に出すと「おめーが連れて来たんだろ」と家族の士気にかかわるので、いわない。映画もそうだったし、洞窟って、なんかイメージとしてはワクワクするものがあるけど、ちょっとでいいことわかりました、わたくし。テーマパークのハリボテも苦手だけど、リアルなのも苦手でした。そういえば、むかしベトナムでクチトンネルを見学したけど、あのときもすぐ帰りたくなった。
 
一方で妻は、そのあたり心配ご無用だったようで、「ここ、隠れたパワースポットなんじゃない」的なポジティブなご発言。確かに、当時はものすごいパワーがここには費やされていたよね。次女を抱えながら、はしゃぐ長男と、わーすごいね~といいながらグイグイ進んでいく。おそらく、たいがいの女性を初めてのデートでここにお連れしたら振られるだろう。でも、彼女はご機嫌。よかったよかった。「ここ、もっとPRしたほうがいいでしょ」とおっしゃっている。鉱山女子ですね、もはやあなた。ここで泊まれるとしたら、泊まってみたいとさえいいそうだ。コウモリや虫がいたら話は別だろうけど。湿気のせいか、カビなのか、少し独特の匂いがする。長女は一番ナイーブで、常に不安のようす。長男が展示をじっくりみていて、置いて行かれそうになると「おにいちゃん、はやくはやく、いくよ~」と不安そうに大きな声で呼びかける。

出口につく。神棚が祀ってある。そうだよなやっぱり当時は命がけの日々で、祈るしかなかったところもあったのだろう。外に出て、長女も安心したのか、ぼくのメガネがくもったのが面白かったようで、ケラケラ笑いながら、レンズを指で拭いてくれる。でも、くもってるのは内側なんだけどね。「もう一回行きたい」と長女がいう。なんじゃそりゃ。
 
重工業が勃興して、富国に邁進してた時代。この山奥にたくさん人が押し寄せて、ひたすら山を掘った。採れば採れただけ売れた。それを街に運ぶために鉄道も整備された。精錬の煙で、山は荒れたらしい。今はその鉱山の建屋も鉄道もきれいさっぱりなくなって、植林も功を奏して緑が生い茂っている。たった40年かそこらの話だけど、ツワモノどもが夢の跡というやつか。かつてこんな力強い仕事もあったんだ、と子どもたちは感じたかどうか。
長男は、「お宝探し感のロマン」にワクワクしたようだ。帰り際、出口に自由に持って帰っていい鉱石があって、喜んではしゃいでいる。小さな水晶の破片がついているのもみつけたらしく、大事そうに手で抱える。次女も、どういうわけか建物の周りの石を掴んでは、集めて、投げている。「帰るよ」といっても「ちょっとまって〜」といって、なかなか離れようとしない。「ママは?」と聞くと、いつもは「ママのところ、いく」とすぐにまっしぐらになるはずなのに、今日は「ママ、あっちいるよ」と教えてくれるだけで居座って石をいじっている。石の力でも受け取ったのかな。
 
今日車を走らせている道中、後部座席の次女が隣の妻に、「ママ、シートベルト、して」といったらしい。言葉を話すだけでなく、いたわる気持ちが芽生えたなんて。妻はいたく感激している。

プラネタリウムで次女を構っている待ち時間に、カメラのハードディスクがいっぱいになったので、いらない写真を整理しつつ削除していた。1年前からの写真が残っていて、去年の夏から見返す。次女が1年前はまだ歩きたての赤ちゃんだったことを思い出す。髪の毛もまだ短く生えそろってない。長女も3歳真っ只中で、顔は今より丸く、ブランコをこぎながらこっちにむかって微笑んでいる。今は黒焦げ少年の長男も、どこかまだあどけなさが残る。この頃の3人にもう会えないかと思うと、寂しい。誰しも子育てをした人たちは、子どもの成長は早いという。だけど、日々接していると、少しずつしか変化しないから、1年分の、この変化には気づいていない。写真をみて、はたとそれに気づく。

妻にこの話をしたら、「10年後のわたしたちって、今日のいま頃の写真ばっかりみて、『あの頃は可愛かったね〜』っていう話ばっかりしてるんだろうね」という。ほんとうにそうかもしれない。10年後、長男は18歳。一緒に住んでいるかもわからない。
毎日この子たちと一緒にいて遊んで世話をして、同じようなことを繰り返してる気もする。よく飽きもしないもんだ。
時間よとまれ、とも思うけど、昨日と同じじゃないから今が愛しいのかもしれない。

帰り道は3人ともすぐに寝た。今の写真が、やがて財産になる。無くなった鉱山を後にしながら、ぼくら夫婦も、今がゴールドラッシュなんだろうなと思う。今週末のドライブも楽しみだ。