家事育児と消耗

珍しく、21時にこども3人落ちる。

 
長男はご飯食べて、お腹がいたいといいだし、宿題せずにねる。学校でもプール、そのあとスイミング。疲れたかな。気にしまくってた、アレルギー検査の結果をみせたら、ハウスダストとダニが陽性レベルマックス。もうどこにもいけんやん、これからどうしよう、と途方にくれてたのを大丈夫と落ち着ける。
 
長女は肌が弱く手首が痒いとさわぐ。そこを叩いてというから寝床でたたきながら添い寝。でも、妻が次女と楽しそうな歌、だれだれが大きい大きいマスクした、とかいう、だれだれのところをパパやママや兄を代入して、そいたら大きい大きいの部分がかっこいいやら、かわいいにかわるやつをしてて、自分も入りたくなったのか、ママの横にいく。取り残されされる。こうなると、寝かしつけの戦力ではなく、もはやただ寝床にいる一人のおっさん。無力感。
 
「ママ、わたしのほうも向いて」と長女せがむが、次女におっばいあげてるから無理と。こまったな、となっとる。うれしい悲鳴でさぞかしいそがいしそうで大変ですね、というやっかむ気持ちさえでてくる。繁盛している店の横の閑古鳥が泣く店の店主の気持ち。母という存在にくらべたら、父なんぞいかにちっぽけなことか。母はコストコみたいなもんだ。近くに来たら諦めるしかない。
 
たのしそうな歌が続いている。
つい、「はやくねなさい」といってしまう。
やっかみからの、ついでた言葉。実にちっちゃい。
 
当然、いってから、彼女たちがしぶしぶ寝るとそれはそれで後悔するわけで。
 
長女は今日保育園で何してたか聞くと、「おままごと」。
誰と?と聞くと、「一人で」。
 
友達は?と聞くと
「みんな、一緒に遊ばない、っていう。」
「かなしかった?」
「うん」
っていうけど、言い方が全然悲しそうでない。むしろ元気にそれをいうから、気にしてないのかな、どうなのかな、と探りにくい。妻にもいうと、そのときは長女顔がこわばる。親が心配そうな顔になるのに反応してるんだろう。
 
一人で遊んでたことを、わるい、と思わせないようにもしたくて、パパは、一人で遊ぶのも好きだよ、誰もジャマされないしねー、とお茶をにごす。
 
やっと家で、いっしょにお歌で遊べる時間だったのを、「早く寝ろ」っていってとめた。それじゃあ一緒に遊ばないといった友達たちと一緒じゃないか。
彼女の睡眠不足を気遣ってならまだしも、やっかみからだったという、あーなんともなさけない。
 
親という仕事も、ご飯をつくりおえたりすると安心するのか、急に「本日の営業終了~」みたいなモードになり、あとは一切受付ませぬ、みたいな気持ちに余裕がなくなるときがある。
 
こどもと向き合うことは、自分のペースで時間を組み立てないということでもある。
こどものペースにあわせてあげることか求められる。自由なんぞ、ない。
「パパ/とうちゃん、○○やって」がひっきりなしにくる。それは、うれしいことのはずだ。父よ冥利につきろって話だ。これだけ相手にされるのは彼らがまだ小さい今しかない。大事にしたい。だからこの生活を選んだ。
 
とはいえですよ、親も人間、どうもですね、育児家事にもドラクエのようなHPがあるようで、彼らの相手をするというのは、モンスターと戦っているときのように、消耗してもいるようだ。
 
彼らが学校から帰ってると、ずーっと戦ってるということなのかも。確かにご飯、洗濯、風呂、皿洗いあれやってこれやって、進めなきゃいけないことをやりつつ(ドラクエでいう
攻撃のターン)、彼らの○○やって、にこたてている(防御のターン)、HPが切れる前に、やりきらなきゃいけないという高い緊張が、どこかにある。証拠に、気がつくと、皿洗うときも、料理のときも、自然と歯をグッとくいしばってる。携帯を触るひまなど、もちろんない。
 
一方で、モンスターとたたかってないときは、自分のペースで自由に歩ける。
だけど、レベルもあがらないし、つまらない。彼らが寝たいまとかは、まさにそんな時間。早く寝ろとかいっときながら、早く起きないかな、になっている。でももし起きたら、早く寝ろというだろう。なんなんだ。。
 
こどもと向き合える時間はつくったが、こどもときちんと向き合えるスペックは十分もちあわせてないということ。まだまだ未熟だね。
 
夜風が寝床に流れてきて気持ちいい。
樋から雨水がしたたる音と、虫の鳴き声。夏の夜の匂い。回復してきた感。
 
皿を洗ったら今夜はもう寝て、またエネルギーをためて、明日、またこの子たちを抱っこして、手を繋いで、話を聞いて、笑わせてやるのだ。
 
生まれてはじめて肉じゃがとテリヤキつくって、うまくいって、たくさん食べてくれてたのは収穫じゃないか。
経験値は増え、レベルはアップしてるはずだ。