好奇心と社会性

保育園がプールびらきということで、長女と次女はプールバックをかってもらった。長女はバンビ(らしき鹿)、次女はミッフィー

朝、長女が喜んでバンビのバッグを提げていこうとしたら、次女がわたしがそれを提げたいと主張。こういう場合、次女はそれができないと泣く。でも、長女もさすがに、初めてで譲りたくない。でもこのパターンはいつもなら、親の説得により、次女にわたさなきゃいけないので、それを想像してすでにかなしそう。

案の定、ミッフィーのがあるでしょ、といっても無駄。

困ったけど、別にあったアンパンマンのビニールバックが下がっていたので、これ、どうかなとみせながら、「あれは、ねえちゃんの。これは、あなたの」といってみたら、その言葉を繰り返し、アンパンマンのを受け取る。

すげ〜、通じた!さすがアンパンマンありがとう。

 

からの、お迎え時。

またバンビのバッグを提げた長女に、次女が大声で襲いかかって奪おうとする。長女、仕方なく譲る。「かなしい〜」と泣きそうになる。アンパンマンのバッグはない。もってくればよかった。

かなしかったね〜と長女を抱きかかえる。そしたら、次女も「抱っこ」と主張。

抱っこするなら、そのバッグ、おねえちゃんにはいどうぞ、できる?

と聞いたら、首をふってイヤだと拒否。

んじゃだめだよ、というとなら、大きな声で、泣きますよ〜のスタンバイ

さすがにそれは長女がかわいそうだから、そのままにしたらやはり泣く。

 

長女を降ろし、次女を抱き上げる。

長女はすべてをあきらめて、一緒に帰る友達と遊ぼうと玄関で靴をはく。

 

でもやっぱりかわいそうで、抱きかかえた次女に「このバッグ、おねえちゃんのだから、はいどうぞ、できる?」ときいたら、泣きながら「うん」と次女。

 

おぉ、通じた、と次女からもらったバッグを靴をはいた長女に渡す。

けど、もう長女にはどうでもよくなってたらしい。反応薄。

 

からの薬局。

処方箋を出してもらう待ち時間。商品棚の一番下、次女の目線のちょうどいい高さに、アンパンマンのパッケージのお菓子。すかさず手を出して、もってくる。116円。なんでそんなところにいるんだアンパンマン

優しい親なら、買うのだろう。買ったほうが親も楽になる。でもこれは、脅迫のようなものだ。一度買うとくせにもなる。しかもどうせ食べないのをわかっているので、そこは屈さないぞと意志を固める。

 

「あけて」という。

「だめだよ、このお菓子、このおくすりやさんのだから。」

わかるわけないか。

親があけないものだから、自分で破ろうとする。止める。奪う、そして元のところにもどした。

振り返ると、案の定、泣く。そして、また、泣きながら取りに行く。

もう一度、「これは、お店の。かわない。戻しな」という。

 

したら、戻した!ほいで、こっちむいて、ニヤってした。

 

だれかのものというのを理解しているのか、親の意志を汲むことをできるようになったのか、どちらもか。「おぉいい子いい子」と褒めた。

 

自然と、欲しくなって手を伸ばす。意志を表示する動物的な行動。好奇心のかたまり。

一方、そのあとの、周囲の反応次第で思いとどまったり、修正したりする社会性のある行動。

大きくなるにつれ、その社会性の比率がどんどん大きくなって、空気を読むようになり、行動を制限する。それが「大人だ」ともいわれる。

 

そういえば、親もしつけとして、後者ができたことばっかりをほめている気がする。

でも、まずは欲しいとおもったり、やってみたいとおもうハングリー精神も、失わないようにしてあげたいな。失ってから、それを芽生えさせたり、与えてやるのは、きっとむずかしい。

 

そういえば妻が、わがままにみえる行動でも、「まずは『そっか、そっか』といえばいいんだって」といってたな。

手をのばすことを、いきなり「ダメ」というのではなく、「そっかそっか」と受け止めることで、すこしはその動物性と社会性のジョインとのクッションになるのかも。

 

でもいざその瞬間になると、できないんだよなぁ。