アブブ

さらに、長女も最近、晩から寝る前の時間、眠たくなったら触るものみな傷つけ、ギャンギャン泣くようになった。宿題をしなくてもいいといっているのに手放さず、でもわからないといって泣きじゃくる。学校や学童ではとてもオリコウサンをしているので、疲れるし、その鬱憤が爆発しているようにも思える。

計算カードの足し算を声を出して読む宿題で、「パパ聞いて」というわりに声が小さかったり、はっきしりしなかったり、間違えていたりでそれを指摘すると更に泣く。こちらもだんだん腹が立ってきて大きな声になって、さらに泣くという悪循環。

なんとかカードもご飯も終わって、そのままお風呂に突入。なお泣き続けているので、お風呂の中で響き渡る大声の泣き声でさすがに鼓膜がやぶれそうになり、気が滅入った。

そのまま泣きじゃくりながら身体を吹いてあげて歯を磨いてドライヤーをして、パジャマを着せて、はなれの寝室に連れていくと10秒で寝た。

朝起きたらご機嫌になっている。最近はその泣く様子、「アブブ」と声を出すので、最近は「妖怪アブブ」と名付けている。ご機嫌のときに「妖怪アブブが来るしな」というと本人も「モー」といって照れくさそうに笑うのであるが、実際妖怪アブブになっているときにそれをいうと油に火を注ぐだけであった。

昨晩は近所の家族にカブトムシ採集につれていってもらって、ほんとは息子とだけだったのだけど、「パパ行かないで」と泣くので一緒に連れていったのがまずかった。

いろんな虫が身体に当たってくるのがいやで結局虫採集には関心示さず。21時過ぎに返ってきたらまだ宿題が残っていたり、ご飯まだだったり、眠たいのにいろいろやらなくてはいけないことが残っていて「アブブ」になったわけだ。

虫採集の別れ際の涙より、結局多くの涙を流させてしまった。時には心を鬼にするのも大事なのだ。一人取り残された次女も「なんで、わたしだけ連れていってもらえないの」と泣くわけで、我が子の涙の総量が一番大きな道を選択してしまった。

アブブが思いっきりでき、それを受け止めるのも家の役割なのだろう。その分、外でがんばっているんだ。

反抗期の心構え2

今日も戒め。外では明るい息子が、家では全く楽しそうではない。ふてくされ、叱ると傷つき、すぐに家を飛び出すようになった。以前は夜中外を歩き回っていたが、夜中、しかも雨の日は心配になるからやめろということで最近は家の庭で一人佇んでいる。反抗期ってこういうものなのか。

我が子が、親から信頼されていなかったり、期待されていないと感じるなら、親の言葉など聞かないだろう。信頼されたかったら、まず親から信頼していることを伝え、信頼関係を構築しないといけない。構わないと無関心は違う。信頼しておきながら、自由にやらせるというのが理想なのだろう。

息子の読んでいる本や、面白いとおもっていることに関心をもって、何を楽しんでみるか聞いてみてもいいかもしれない。そういう会話がなかったな。

期待というのは、どうなってほしい、何してほしいとかそういうことではない。褒めるということにつきるのだろう。管理目線ではいけない。いいところ、好きなところがあって、それが行動を伴って表面に出てきたこと見逃さず、ポジティブな言葉をかける。生き生きと伸びればよい。

しつけも、叱るのではなく、説諭する。問いかける。例えば鼻を噛んだディッシュが机に置きっぱなしであるのも「片付けろ」ではなく「これでいいのか」というだけでずいぶん違う。命令に従わせようとするのではなく(それがしたくないから反抗期なわけで)、主体的な判断をさせなきゃいけない。

正直、ぼく自身が父と小学校高学年から高校三年はほとんど口を聞いた記憶がない。一緒に出かけたりすることは皆無だし、学校のイベントにも来ない。父なりの愛はあったのだ今はとおもうのだけど、直接的ではなく、ずいぶん遠い位置にいた。そして、それが寂しいと思ったこともない。息子というものは、特に反抗期、父とは逆の人生を歩みたいと思うものだと、ぼくは思っている。「こういう人になりたくない」そう思うことが、エネルギーになり、頑張る原動力にさえなった気もする。とはいえ、結局自営業で、自分の腕一本で家族を養った父のほうがよっぽど偉大だったと今は思う。

だから、ぼくはいま迷っている。距離を置いたクソ親父でいいんじゃないか。幸い、ぼくは自分を落ちこぼれだと思っているし、何も誇れるものがないので、ぼくのようになってほしいとは思っていない。反発して、反面教師にしてくれるほうが心強いと心の底では思っている。

妻からはバカな明るい親父であればいいと言われた。でもそれには父子の仲良しというニュアンスもある。父子が仲良しというのは幻想なんじゃないかと、ぼくは自分の父との関係をみておもうので、まだ眉唾なのである。

昨日は夏日。次女を歩いて保育園におくった。最近はぼくの自転車に彼女が座って、ぼくが手押しでいくコースがお気に入りのようだ。ぼくの腕と背中に捕まる人力車。

 

「影あるところと、ないところがある。なんでだろ。あの家には影あるのに、この家にはない。」

「影って、どうしてできるとおもう?」

「うーん、ひかりがあたるから。」

違うといいかけて、言葉を飲み込んだ。

「影は光があたるからできる」のは間違いではない。夜の時間をだれも影の時間だと思っていない。光があるから、影ができる。思わぬ哲学的な答えが返ってきた。

「光って、何かな」

と問いかけなおした。そう、太陽である。

木陰に入る。日差しが朝から厳しいので、救われた気持ちになる。

「木の影のところに入ったら、太陽ってみえる?」

「みえない」

「なんでだろ」

「だって、木が邪魔するから」

「そうだね。だから、光が当たるところには、影はでき・・」

「ない!」

「そうだね。光が当たらないところには、影はでき・・」

「る!」

「そうだね」

太陽の光ってまっすぐ進んでるんだよ、と細くしようとしたら「ねえみて、あじさい」ともう関心は別のところに行っていた。保育園に近づくと、対向車の運転手を逐一確認して誰のママだったか教えてくれた。よく気づく。ぼくはそこまでよく見ない。

なぜか

かれこれ、頭痛が2ヶ月ほどおさまらない。漢方薬を処方してもらっていて、薬が効いているときは大丈夫だけど、時間がたつと急にまた痛みだす。精神的に頭の痛いことは同時並行でいろいろあるし、そのせいだろうか。一度精密検査をしたほうが良さそうだ。大腸ガンの検査もしたほうがいいと1年いわれて、まだ行っていない。今年の秋のマラソンは大丈夫だろうか。バスケのときは最初だけ頭痛はひどくなり、やがて麻痺してくる。人生初の3Pシュートを2週連続決めているので今週末も続けたい。

反抗期の心構え

息子は昨日は遊びにいった友人の赤ちゃんと3才児、今日は近所の小学校一年と年少さんの年下をよくかわいがって、遊んでいた。優しくて慕ってくれているようだ。連日、スケボーをさせてもらって興味が湧いてきている模様。

ほんにんも楽しいのだろう、家にいない時間が増えた。もう家の中で育つ年齢は過ぎて、社会に育ててもらうステージなんだろう。親ができるのは土の下の根っこまで。芽が出たら、親の声は届かなくなり、できることはない。

生まれてからこれまで、とりあえず全力で土を耕し、いろんな肥料はまいたつもり。まっすぐ芽は出てくれたと信じている。これからも土いじりはやるが、基本的には間接的な関与になるのだろう。

もう11歳。反抗期がはじまっている。親としても、意識を変えなくてはいけない。子どもの意思を尊重しなくてはいけない。もう親のいうことを素直に聞く年齢ではない。子どもは親の思う通りには育たない。むしろ逆に育つ。親ができることは命令や指示ではなく、援護射撃。なので「〇〇やりなさい」はもう駄目で、問いかけることだったり、同じ目線で一緒にやれるかどうか。親にはより度量が求められる。父親は管理するのではなくて、むしろ世界を広げてあげることが大事なんだとなんかで読んだ。だからなおさら。短所を治そうとするよりも、一つでもいいところをみつけて、それを徹底的に伸ばしてあげればいい。

これまで近くでずっとべったりしてきた分、近くでブンブンまわしたハンマーのように、だいぶ強い遠心力が彼にはかかっている。寂しいが、もう手放す時期なのだ。できるだけ遠くに飛んでいけばいいのである。できれば衛星のように戻ってきてほしいが、それは親のエゴというものだ。少なくとも15年くらいはかかるだろう。

前にも書いたけど、香山先生も「ひとつ、ふたつ、と『つ』が付く間が親と子どもの時期。『とう』になったら、かわるものだよ」とおっしゃっていた。赤ちゃんと親には、磁石が体内にあって、NとSでべったり最初はくっついているけど、「とう」になるときっと子どもの中で極がいれかわり、反発するんだ。

息子はもう学校の帰り道、近所の家で遊んでもらって、まっすぐ帰ってこない。「放課後って、果てしない自由な時間だったよな。あれがいいんだよ。いまの小学生は、忙しすぎるでしょ。」と先生。たしかに、「放つ」という漢字が入っている。

元気で大きくなる、それだけでいいはずなのだ。「優しい」といわれたら、さらに超したことはない。家はベースキャンプで、外で傷ついた身体を癒やし、体力が回復するように骨を休めるようにしてあげるのが理想なのである。

解き放て。全身全霊で、息子が楽しく育つ環境を整えるためにこれまで関わってきたし、一番近くにいたという自負がある分、心の中にぽっかり穴があくかんじもするが、それが成長だし仕方ないのである。

最近はぼくといることが楽しくなさそうなこともしばしば。ぼくがいうことにナイーブに反応し、そして反発する。ぼくもイラッとなる。妻から諌められたり、その都度反省しながら、「構いすぎるな。離れなければ」という気持ちになる。父子の旅、今度はいつ、いけるのだろうか。

顔とボール

和室で寝転がるぼくの横で、息子のバスケットボールをコロコロさせながら、「ね、このボールとわたしの顔、どっちが大きい?」と次女。

「ボールだよ」

「じゃ、パパの顔とは?」

「どっちが大きいかな、比べてみて」

「うーん、同じくらい」

流石にバスケットのボールの方が大きいと思っていたので、意外である。そんなにぼくの顔はでかいのか。

近くに長女の安全帽があって、そのボールに被せようとしている。当然、ぼくの顔くらいの大きさなので、帽子は小さくてちゃんとは被せられない。

「ねえなんで、黄色い帽子かぶるの?」

車がすぐに気づくなどの理由を教えてあげる。

「帽子かぶってないと、すぐにわからないの?」

「そうだよ」

バスケボールから安全帽を外して、なんだかわかったような顔をしていた。

おとうさん

長女が小学校で習ったことを教えてくれた。

「おとうさん」

「おかあさん」

「おじいさん」

「おねえさん」

「おにいさん」

「おばあさん」

この中で、仲間はずれがひとつ。おとうさん。

おとうさんだけ、おと「お」さんでない。母音が変わっている。

母音はひらがなのおかあさんで、「おと『お』さん」の「『お』おかあさん」は忙しいから、「『う』のおかあさん」に手伝ってもらっているそうだ。

気づかなかったし、知らなかった。