東京での思い出(1)

東京へ行ってきた。キッザニアとライオンキングにつれていく。

キッザニアで長女と次女が生まれたての赤ちゃんをお風呂にいれる看護師の仕事を体験するのがあって、赤ちゃんを抱っこしてお風呂にいれて、おくるみきせるという一連の仕事を学んでいた。ガラス越しに赤ちゃんを抱いているのを写真で撮る。長女の表情が、すっかり母性本能丸出しで、9割は笑みがこぼれはにかんでいる。だけどしっかりお仕事もしないとという緊張感から凛々しさも1割くらいある。いままで何万枚と写真をとってきたけど、これはいい顔してる瞬間を捉えたベスト10に入る一枚になったね。そしてもしも将来子宝に恵まれたら、いい母ちゃんになると確信したね。

次女も周りはお姉ちゃんばっかりだったけど、必死にお仕事についていこうとがんばってたね。丁寧に扱わなきゃいけないのはわかっていながらも、ときどき赤ちゃんを頭から手でつかんで持ち上げたようとしたり、まだたどたどしいのがかわいい。年少くらいのサイズだと、何を着ても萌え度が高い。

長女と次女に何が一番面白かったか、と聞いたら「赤ちゃんかわいかった」と最終的にはこれだったもよう。

 

気が利く

どんどん視力が下がっている息子が公文をやっていて、うつむき加減なので手元が影になっている。「おい暗いぞ」とたしなめたら、そっと横にいた長女がバチっと電気をつけてあげていた。夕食時はラ・フランスを向くのを手伝ってくれて、お皿に盛るばかりで自分が食べてなかったから「食べな」と勧めた。みてて心配になるくらい気を回している。頼りすぎず、ちゃんと甘えられるようにしてあげなきゃいけない。「トイレに一緒に行こう」と誘われたので付き合う。

 

次女は「おおきくなったら、アイス屋さんになる」そうだ。

「パパ、たくさん買いに行くね」

「パパとママには、お金いらない。あげる」

「ありがとう。でもちゃんとお金はらうよ。」

「でもアイス、作れるようになるかな。」

「作れるように、がんばるんだよ。仕事だから。」

「最初から作れる子なんて、いないもんね。」

最近、長女が絵を描いていると、次女は自分が同じように描けなくて拗ねることがある。「うまくかこうなんて思わなくていい。好きにかけばいい。たくさんかいていけば、上手になる。最初から上手に描ける子なんていないんだよ」と励ましていたのが、どうやら心に残っていたようだ。そのときは拗ねたままだったけど。

 

不良

最後に起きてきた息子と遅い朝食をとっている。妻と娘たちはピアノ教室で先にでかけた。昨日の残りの豚しょうが焼き丼。

今日の会話は学校で先生に怒られたという話で、「本を読むな」と言われたそうだ。

聞けば息子がいう「すきま時間」に、学校の図書室で借りた本をちょこちょこ出しては読んでいたのだという。

何が悪いのかいまいちわからないが、話を聞いていくうちにそれは授業中で、他の当てられた子が黒板に発表のために計算式を書いている間が暇で、そこを「すきま時間」と息子は位置づけ、机から本を取り出して読んで時間を潰していたようだ。それを先生は「授業中はけしからん」とたしなめた。

面談にいったとき、担任の先生の印象はベテラン然としてすごく寛容で優しい印象で、これは任せられると思った。そして板書の字がキレイだから、息子にもいい影響があるといいなと期待していた。

あの担任の先生が注意するくらいなのだから、よほど腹に据えかねるくらい目障りだったのだろう。親として申し訳ない気持ちになる。算数であれば「他の解き方があるかもしれない」とか、いろいろ考えることがあるだろう、とのご指導。ごもっとも。

が、息子の気持ちもわからなくもない。日頃から息子には人生に与えられた時間は限れれているから無駄にするな、といいきかせているから、彼なりに有意義にしようとしたのかもしれない。ややこしくなるから、無駄に思えることが意味があるという議論はいまは横においておく。

先生のいうように別解を考える、それが優等生かもしれない。でも、息子にしたら、とにかく今読みたい本が手元にあるので、読まずにおられないのである。『読書をしましょう』と散々学年通信やら図書館だよりに書いてあるではないか。この好奇心は授業じゃ教えられない。抑えたら損だ。ちなみに、その本はスポーツの歴代珍プレー伝説を物語ったもの。昨晩「こんな珍プレーあったんだよ」とたくさん話をしてくれた。

我が身を振り返れば、授業中に他のことをしていたり、全く関係のないことに思いを巡らせていたり、生長期のときは寝ていたり、いろいろしていた。偉そうなことは言えない。

てなわけで、じゃぁそのすき間時間をどう埋めたら怒られないかを一緒に考えた。例えば宿題をするというのはどうだ。それには算数の時間に漢字ドリルを机の上においたり、それはそれで怒られるだろう。

そこで、ノートに板書をもう一回、丁寧に書き写すということはどうかと提案した。クラスで最も字が汚いであろう息子、先生の字を習えばよい。同じ内容を二回繰り返し書いていても、怒られることはあるまい。

「ほうほう」とそれはナイスアイデアというように息子にもすんなり入ったようだ。

さてどうなるかな。

「とんだ不良少年やな、お前」というとへへへと笑っていた。

「本、好きすぎや」と先生から揶揄されたようだが、それは勲章だとおもえばよい。

本は人生の栄養だ。

うまくいった

今日は妻が飲み会で、一人で子どもたちの面倒をみたわけだけど、我ながら完璧であった。記念に記しておく。

5時半に保育園に迎えにいって、ご飯をつくって、食後にラフランスと柿も出して、長女と次女をお風呂にいれて、歯を磨いて、バスタオルで拭いてドライヤーをやって、長女が残っていた公文を横で付き合って、その後長女と次女でリサとガスパールを1話だけ観たいというのでみせて、それが終わって寝床についたのが8時59分。

目標の9時前。実に気持ちいい。無駄なくもろもろが順調に流れるようにできた。しかも、食べ終わった食器を食洗機に入れることも完了している。

妻の実家でもらったカワハギの大きいやつも煮付けや刺し身にして捌いた。予めおでんやトマトを買っておいたり、炊飯をタイマーでセットしておいたのも効いた。

子どもたちも珍しくケンカしなかった。おでんのお餅の具が息子の分がないとなったときは緊張が走ったが、ぼくの器にあったのでそれをあげることでことなきを得た。

誤算は2つ。一つは寝床に来てから、トイレを長女も次女にもさせてないと気づいたこと。二人に聞いたら次女だけ「行く」というのでついていかなきゃかなと覚悟したけど、今日はすんなり一人で行ってくれて驚いた。

もう一つはそこから長女が「絵本読んでほしい」といったこと。仕方なく読んであげる。カーズ2。結構長いし話は複雑なので、次女はいろいろと質問してくる。「『スパイ』って何?」の説明はしづらかった。それでも9時20分頃には二人はもう夢の中。

上では息子が石ノ森章太郎の漫画『日本の歴史』を読んでいる。彼も今日は宿題や公文を学校と学童で済ませてきたというので、友達の家にあそびにいったし、充実していたもよう。漫画を読み終わったあと、寝床に来てひさしぶりに背中を踏んでもらって、寝たのは22時15分頃。

あれやこれや常に手を動かしながら、次は何をするべきかと高い集中を保っていたのだけれど、余裕がなくなってカリカリすることなく、ずっと穏やかでいられた。日々同じ作業を繰り返していくと、どんどん無駄がなくなって洗練されていくし、勝手に身体が動くようになって同じことをやっても消耗が少なくなる。これは家事育児にもあてはまるのだな。

子どもたちも阿吽の呼吸で今日は動いてくれた気がした。もっとも、自分でパジャマを着てくれるようになったり、子どもたちが自分でやれることが増えてくれたおかげで、こちらも楽になったというのも大きいのだろう。だとしても、だれもみちゃいないし褒めてもられるものでもないが、子どもたちだけでなく、父ちゃんずいぶん成長したぞ。

今日改めておもったこと。子どもたちはトマトに目がない。ケンカになるほど取り合いになっていたので、なくなる度に切って出すを繰り返し、今日だけで結局4個は使ったぞ。来年はトマト農園をつりたい。

そしてぼくはカワハギが大好きだ。

読書メモ〜『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』

『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子文藝春秋/2010)

 

タイトルをみてビビビっときた。水木しげる赤塚不二夫手塚治虫も娘たちが父を語る本。挿入されている赤塚不二夫の『レッツラゴン』も、最高だった。ぼくがよく結婚相手をどうしましょ、と聞かれたら「その人の友人も含めていいなと思わなきゃ、だめなんじゃないかな」というのと同じようなことを、赤塚先生もおっしゃっていたのには勇気づけられた。「男にもてない男はダメ」なのだ。娘に伝えなくちゃ。

みなさん、パパといる時間はうれしかったといってる。

思春期や反抗期になったら父と会話しなくなって、大人になってできるようになったらいなかったり。そのときは作品を通じて父と会話してる気になるとか。ぼくには漫画は書けないが、このブログは残してゆく。ゆくゆく娘たちも読んで、なにかを感じでくれるといいな。そのときも、会話はしてたいけどね。

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手塚「生前に何かのインタビューでこんなことを話していたんですね。『頭ごなしにこれをしちゃだめ、あれをしちゃだめと言うとそこで子供の気持ちは止まってしまう。とりあえず好きなように、子供が納得するまでやらせる。もし迷っていたら拾ってあげる。それが親の役目だ』って。それ読んで納得しましたね。だからわたし、こうなれたんだって。やっぱりね、母親はしつけに厳しいものですよ。ああしなさい、こうしなさいって言っちゃうんですよ。ただ、それをやっちゃうと、子供は自分で答えを見つけられなくなってしまう。その点父は、何をどうやっても結果は出るんだから、出た結果を受けとめて自分で変えていけばいい、そういう接し方をする人でしたね。いわゆる放任主義。」

・・・

赤塚「なんかね、人の悪口っていう感じではないんだけど、でも、「男にもてない男はだめだ」って言ってました。「女友達がいっぱいいても、男友達のいないような男は絶対だめ」って。男に愛される男に・・・。

手塚「赤塚先生の口から出てくると不思議な気もするね。」

赤塚「でもきっと、うちのおやじは女の人よりも男の友情みたいなものを大切にしてたんですよね、そういうとこってあった。なんか、恋愛もしたようなんですけど、絶対、それよりも・・・」

手塚「あれだけ浮名を・・・。女性とのエピソードをもってらっしゃるのに、結果的に男の友達とか、仲間を大事にしていらっしゃる。」

赤塚「男といるほうが楽しい。女の人は好きなんだけど、でも男といるほうが好きだったし、男とお酒飲むほうが楽しくて。で、女の人にやきもちみたいなの焼かれるのが大嫌いで、だから・・・。そういうところは、女はだめだと思ってたみたい。やきもちとか。」

水木「縛られるのが嫌いっていうことなんですね。」

赤塚「そうそう」

手塚「赤塚先生にとっての女性は、お母さんなんだよね。」

赤塚「そうなんです。」

・・・・

ある日私は思い切って父に尋ねてみた。

「ねえ、お父ちゃんが描いている妖怪って、本当にいるの?なんで妖怪の漫画ばかり描いてるの?私、学校で言われるから嫌なんだけど・・・」

すると父は読んでいた本から顔を離し、私の方を向いて怒ることなく話し始めた。

「近頃の人間は目に見えるもんしか信じない傾向があるんだが、お父ちゃん、それは間違っとると思うんだ」

「なんで?」

「お父ちゃんも実はねえ、妖怪の存在を疑問に思っとった頃があったんだ。でも間もなく解明されたんだ。お父ちゃん、戦争でひとり生き残ったときに味方の陣地まで4日ほどかけて戻るときにね、夜だったかお父ちゃんが前に進もうと思っても前に進まなくなったんだ、急に。なんだかグニャっとしたコールタールみたいなもんがあってどけても進めないんだね(どうしても前に進めなからね)、仕方なく休んだ後にもう一度同じ所をみたら、もうそこには何もなかった。その時にはきっと疲れていたかからどうと思っとったんだが、気になって調べてみたら、それが”塗り壁”だとわかったんだ。お父ちゃんが描いとる妖怪はちゃんと日本に古くから伝わっとるものばかりだよ」

父は鼻の穴を膨らませながらさらに続けた。

「今、妖怪は存亡の危機にあるんだ。妖怪の話は学術的な文で書いてあるものも多くあるんだけれども、そんな難しい普通の人は読まんだろ。だからお父ちゃんは人々にわかりやすくしとる訳なんだよ。そういう事ができるのはお父ちゃんしかおらんのだよ。いわば妖怪から与えれたお父ちゃんの使命だ。わかったか」

そう話す父の目はメラメラしていた。そして私は翌日から堂々と学校に行ったのだ。

(中略)

「お父ちゃんね、電気が妖怪を消してしまったともっとるんだ!・・・」

と熱弁をふるいはじめた。どうやら、まだまだ妖怪と共に歩き続けるらしい。

「私も妖怪大好きになったよ。お父ちゃん!」

これからもずっと父の近くで、父を助けていきたいと思う。

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読書メモ〜『前川さん、すべて自邸でやってたんですね』

『前川さん、すべて自邸でやってたんですねー前川國男アイデンティティー』(中田準一/彰国社/2015)

 

大建築家前川國男を支えつづけ、その自邸を再建した弟子による回顧録。師への愛に溢れ、泣けた。心から尊敬する人に仕えるというのも、幸せなキャリアなんだな。

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・・・

謎の言葉は、「ムーブマンがないね」

私はムーブマンとは連綿と繋がる空間の流れであるととらえているが、ある先輩は、一筆書きができる壁の流れという。

(中略)

旧前川邸の「ムーブマン」は道路から始まっている。

門扉のない入口からサロンに至る道筋で、景色は変化しつつも区切りのない空間の流れ。

・・・

「バフラな空間が大事なんだよ」

(中略)

この「バフラな空間」とは、私なりには「茫洋とした、とりとめのない空間」ではないかと解釈している。前川さんは、この空間を獲得するのに多大なエネルギーをかけている。埼玉県立博物館のバフラな空間は、18m☓72mのエントランスホール。熊本県立美術館のそれは吹き抜けをもつロビーである。

(中略)

「君、パブリックな建築のパブリックな場所のデザインは難しいんだよ」

(中略)

はじめに提示される施主の要件には入っていないこれらの「バフラな空間」が、その建物の「らしさ」を生み出し建物の個性となり、それが、その建物の存在感を生み出している。

その実践は、すでに旧前川邸にあった。

(中略)

前川さんは、ここを居間やリビングとは呼ばず、「サロン」と呼んでいた。夫婦2人で食事をするのも、愛用のフィリップス社製のプレーヤーでレコードをかけて音楽に浸るのも、さまざまな友人や知人が集まり語り合うのもこのスペースであった。ここがまさにバフラな空間、旧前川邸の象徴的空間である。

・・・

 

ヨーロッパの近代合理主義に基づいて日本の近代建築を牽引してきた前川さんが最晩年の頃、「生きていく上で芸術は必要だ」と言われた時に、「建築にとっての芸術とはなんですか」と尋ねたことがある。

「建築にとって芸術とは演出だよ。窓まわりにある」

・・・

 

・・・

「アプローチが決まれば、設計の80%は決まったようなものだ」と前川さんは言う。

・・・

さまざまな条件に対して無理なく合理的に組み合わされた状態を、「身の丈に合う」と理解している。無理せず、熟考し、つくり手自らが責任を取れると判断してつくられたものには、バランスの取れた美しさが宿る。

前川さんは、「身の丈に合う」ことを大事にした。これは、つくり手の思いが先に立って無理を承知でつくり出したものは、他の条件を無視しがちでバランスが崩れるので避けるべきだと言っているようにも思える。しかし一方で、目標を一段高く上げて試みることも大事なことであり、そこに発展がある。

「身の丈に合う」、そして、さらにそれを超える新鮮さがないと前川さんのOKは出ない。

前川さんのOKをもらうには、ちょっと背伸びをすることで到達できる可能性、それを見極める能力を養う不断の努力が必要である。最終的には、それを決心した者に生じる責任を受け止める覚悟も求められる。「ちょっとの背伸び」をしなあらも、スケッチに込められた考え方を前川さんは見ていたと思われる。

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「食べるところは大事だよ」、前川さんはよく言っていた。

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前川さんは晩年、「人間の存在は、はかない。その存在を建築に託すことができるのではないか」とよく口にしていた。

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「君、花はなぜ美しいか」

晩年の前川さんから問われて、答えに窮したことがある。すべてのものがバランスして、自らの責任を持って存在するからこそ美しい。「それは、自らの責任でそこにあるからだよ」と、しばらく経ってから教えてくださった。

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前川さんは、建具金物に対して一家言を持っている。埼玉県立博物館建設の折に私が選んだ候補を報告したところ、「錠前を含む建物金物は、まず、故障が起きないものにするように」と注意を受けた。建築のトラブルは水まわりか建具の建付けと相場は決まっていて、事前にトラブルの発生を回避するのが常道であると教えられた。

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建築をつくる過程で、ハードやソフトを含めたさまざまなことを学ぶ。前川さんは「社会から教えていただいたものは、社会にお返ししなさい」と言っていた。「仕事を通じて知り得た知識は社会共有の財産として開放しなさい」という意味として私は受け止めた。

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ある時、本屋さんから預かった5〜6冊の本を前川さんがいる所長室に持って行くと、1冊1冊ページを開きながら、ぽつりとつぶやいた。

「君ね、美しく年を重ねるのは難しいよ。死ぬのが怖いんだね。」

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