遠慮

バナナを食べたいが、6本しかない。我が子たちはみなバナナが好きである。金曜日、保育園と学童に迎えにいくときに、バナナをもっていくとおやつで喜んで食べる。そのまま長女と息子は公文にいく。朝も食べる。だから、バナナを与えるのは同時だし、3の倍数じゃないと、ケンカになる。ぼくがここで食べるとややこしくなるのである。だから、我慢する。

はじめてのジャンプ

ここ数回、息子は学童から直接スクールバスに乗って水泳に通っている。新しい水泳キャップを自分で買わなきゃなので、その分のお金を持っていった。

家に帰ってきて、水泳帽と一緒に分厚いジャンブも買ったとよろこんでいる。水泳スクールの入っているビルには本屋もあって、ついでにお小遣いで買ってきたそうだ。正確にはお小遣いはあげていなくて、日々のパパの背中マッサージ1回100円による収入である。

聞いてなかったので驚いたけど、ぼくもジャンプを買ってもらいはじめたのは同じくらいかもしれない。おじいちゃんの家の近くの酒屋で、毎週火曜日発売だけどその店は月曜日に売ってくれて、1日早く読めるのがうれしかった。月曜日が楽しみだった。

息子の買ってきたのは月刊のジャンプで、すべてのマンガを噛みしめるように1ページ1ページを何回も呼んでいる。つい昨日も読んだギャグ漫画の同じところでまた同じような声を上げて笑っている。

「前読んでわかっているのに、笑っちゃうの?」

「うん。」

幸せそうである。

ぼくは自分のお金で買ったわけでもないし、好きなマンガだけを読んで、そうでないものは読まなかった。少年時代のぼくに比べて、誠実にジャンプに接しているし、ゲームもテレビもない彼にとっては極上の娯楽なのだろう。

昨日もトイレに持ち込んで読んで、出てくると「あー来月のキャプテン翼がたのしみだ」といっていた。

 

小学校5年のとき、先生に呼び出されたことがある。今思うと、教育ママだった母がマンガばかり読んでまったく勉強をしなかったぼくを見かねて、担任の寺田先生に相談したのだろう。放課後に寺田先生に「ちょっと残って」といわれ、屋上につれていかれて一対一で話をしたことがある。数十分だけど、妙に覚えている。

「マンガばっかり読んでるんか」

「うん」

「勉強しないの?」

「マンガ家になりたいし。勉強よりもマンガがいい」

「そうか。でもな、はらたいら、知ってるやろ。クイズダービーの。」

「知ってるよ。いつも1位やね」

はらたいらって、漫画家なんだぞ」

「え、そうなん?」

「そう。漫画家になりたかったら、マンガ好きなだけじゃだめなんだ。いっぱい勉強して、物知りでないと、面白い話は書けない」

「へぇ。」

このときの先生の優しい口調の「はらたいら作戦」は、当時のぼくにとってすごい強烈で、ものすごい説得力があった。そういえば、その話のあとくらいで、ぼくは田舎からバスに1時間のって市街地の塾に通い始める。意識が、少し変えられたのだとおもう。

息子にも、いつか同じ話をするときがくるのかな。ただ、彼ははらたいらを知らない。誰がいいかな。

宿題にて

息子の昨晩。水泳から帰ってきて、シャワーを浴びてご飯を食べて、トイレで長い用を足して、ようやく宿題に着手する。もう娘二人は寝床にいく。

自学ということで自分で去年の夏休みに買ってやらずに残っている算数の問題集を久しぶりに開く。

52人が川釣りをして、アユとイワナをつる。両方釣った人は何人とかを答える問題。いわゆるベン図。
「これ、おかしい」と息子。お、そのご発言算数得意なのかもと期待するも「イワナ釣りに、リール使っとる。ないわ」という指摘であった。「アユなんじゃないの」というがおまえはアホかというかんじで「こんな斑点あるアユはおらん。イワナや。」とボコられる。

そのやりとりで満足したのか、問題を解くことには興味がないらしく、なかなか集中しない。消しゴムにスティックのりを塗りはじめた。「おい、それならとっとと歯を磨け」というと洗面所に行って歯ブラシを取ってくる。

歯を磨いてあげながら「のり塗ったら消しゴム使えなくなるけど」とたしなめたら「乾いたらきれいにとれるよ。何度もやってる」と力強く返ってくる。

歯を磨いて宿題やるのか訊くと「やる」というので、ぼくも寝床に行かずに待っていると、「さっぱりわからん」ということだった。

答えを見て、「意味わかった?」と訊くと「わかった」と返ってくる。「面白い?」と訊くと「うん」という。

「次やったら、できるかな」

「できるね」

「まあたいていの算数は慣れだしな。」

スイミングでは進級して、バタフライと背泳ぎの50メートルを3セット、平泳ぎとクロールの50メートルを3セットするようになって「めちゃきつくなった」とのこと。

とはいえ、たいていいつもは宿題がつまらなくなって目をこすって眠たそうにするのだけど、今日はならない。体力ついたのか、いつも遅くまで起きているから体内リズムがおかしくなっちゃったのか。

サッカーのチームに入りたいそうだ。仲のいい同級生もたくさんいて、チームで試合に出たり練習をしたり、楽しそうにしているのがうらやましくもあるのだろう。

水泳はもうそろそろやめてもいいかも、と思ってきているようだ。父ちゃんも200メートル個人メドレーはやって辞めた。おそらく、4年生が終わる頃には同じくらいになっているだろうし、潮時なのかもしれない。ただ、いま一番自信を持っているだろうテニスは辞めたくない。チームに入ると週3、4回はサッカー漬けになるし、毎日さらに忙しくなる。そしたら学童にはもういかなくなるのか、いま行ってるサッカースクールはどうする?など。

宿題が終わって寝床に行って、一緒に寝ながらそんなことを話つつ、「ゆっくり考えな」といってるうちに、寝た。

ワールドカップ

ロシアワールドカップの日本最終戦、対ベルギーは午前3時半からであった。息子は見たいからと8時に床に入ったものの、寝付けず9時ころに「寝れん」と大声で泣いていた。横にいったら落ち着いてすぐ寝入った。

妻も息子も3時半に起きた。ぼくもつられるように起きた。一緒に見たい?ときくと息子も「うん」といったから。

みると後半になっていきなり日本が2点先制してリードするというびっくりな展開で、2点目が入ったとき、三人で「おー」っと叫んだら寝床の娘二人が驚いて起きて泣いた。妻が悔しそうに落ち着けにいく。

後半ロスタイムで逆転の3点目を入れられるという実に悔しい負け方で、息子もこの負けが受け入れられなかったのだろう。少し寝ようと寝床にっても、くそーと枕を叩いて悔しがっていた。

いまさらわかったことがある。一生懸命やっている人間はとても美しくてかっこいいということ。結果は悔しかったにせよ、手を抜かずに懸命にみんなで力を合わせているという姿に心が奪われる。しかもその力が正面からぶつかっている。そのエネルギーをストレートに拝めるのはスポーツが最も直接的だ。しかもサッカーの場合、4年に一度しかみられない最高峰の戦いの場が準備されていて、一つのピッチに22人ものがむしゃらな、人生を賭けたエネルギーの塊が集まっている。

たとえばロボットが同じプレイをしていても、ここまで感動はしないだろう。それはきっと人間には本来的に弱さを抱えている存在で、それでありながらピッチの中の代表たちはストイックに自分を追い込んで、誰よりも努力を重ねているから、敬意を持てる。自分と近くて、それでいて遠い存在。だからいいのだ。

翌日、息子にそんなことを話していた。

息子のおかげで早起きして、サッカーに興味をもって、ここまで感動できた。子どもを育てて、自分の世界が広がった。親冥利に尽きる。

次のワールドカップは彼は中学校2年。友だちの家で見るといってもおかしくないわけで、親子で一緒に見れたのは最後、かもしれない。そう思うと、他の試合も早起きして一緒にみるべきだったと悔やまれる。

斉藤さん

斉藤和義のライブに妻といってきた。初めてである。ライブが始まって最初の歌声を聴いたとき「あ、ほんものだ」と感動する。

たまたまローチケでみたら買えたから衝動買いした。てっきり「歌うたい」が聴けるとおもったら、セットリストにない。新しいアルバムがメインのツアーということで、そのアルバムやらを借りて繰り返し聴いて臨んだ。そうしるとどの曲でも「わーほんものだ」と毎回テンションあがるから楽しい。

その中でも一番気に入って聴いていたのは最後の曲で、「月光」。古い曲。歌詞の一節。

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あっちの席でオッサンは言ったよ「オレは百人の女と寝たぜ」

こっちの席じゃ若者が「男の価値はなにで決まるのかな?」

そしたらとなりの女が「そんなの”家族”に決まってるでしょう!」

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この歳になると「うたうたい」よりも「月光」の方が沁みいるな。それでも「うたうたい」は死ぬまでに一度生で聴いてみたいけど。まぁ「虹」とか「青空ばかり」とか「始まりのサンセット」とか好きな曲がみつかったし、聴きたかった曲もアンコールで聴けたので満足なのである。

ちなみに、セットリストを見てライブに臨むのはもちろん邪道である。今回は救われてしまってお恥ずかしい限りだが、ブログにまるごと記載する場合はせめてアンコールは伏せるというのを紳士協定したらどうかな、と思ったり。

ライブの後はいつもぼくが行って妻がいったことがないお気に入りの焼き鳥に連れてゆく。二人だけで外食するのは久しぶりであった。帰ったら娘二人はすでに寝ていて、息子は図書館で借りたマンガを読んでいた。

ヨーイドンはおまじない

次女の気分を切り替えて、楽しくさせるのに「ヨーイドン」は有効だ。保育園について、靴と靴下を脱いで下駄箱に入れるという一連の作業が、長女より遅れてしまって、ぼくも先で待っているから最後になることがある。置いていかれたと思った次女はイジケモードに気分が下がってしまうのだけど、手をつないで「ヨーイドン」というと反射的に走り出して教室に向かって事なきを得ることがある。

長男のサッカー教室を見に行ったときも、教室が終わったあとコーチと長男が遊んでいる間も手持ち無沙汰にならないように「ヨーイドン」をいうと走り出して、何度もかけっこをする。ぼくも一緒に走れというが、かといってぼくが勝ってはいけない。背中のすぐ後ろで追い抜かれるぞ、というドキドキ感がある距離で後ろをついていくのが一番楽しいようだ。何回も何回も繰り返し、汗だくになっている。さっきお風呂に入ったのにな。まあ仕方ない。

ただ走るだけでこんなに楽しい。すばらしいね。

めげない

息子がスイミングを初めて6年くらい。ついに一級にたどりついた。初めたときは年中で両国のルネッサンスだった。家からタクシーで行くという、倹約生活の今からは考えられない贅沢な通い方をしていた。あの時、タクシー乗らずにいま俺の小遣いにほしい。それはさておき、帰路は天気がいいと歩いて帰った。隅田川を渡り、浜町公園を通る。公園でかならず遊具で遊ぶ。だいたい一時間くらいかかった。のんびりした土曜の午前の時間。懐かしい。

こっちに住んでからも、続けている。一級になるまで、がひとつの目標。

バスが家の近くまで送り迎えしてくれるから、ギャラリーから毎週見ることはなくなった。月末の回は帰ってきたら、進級テストの合否の書かれた紙を机の上にボンと置くのが恒例になっている。そしてたいてい、落ちている。頭をうなだれて「ダメやったー」というけど、あまり悲壮感はない。一級あがるのに半年くらいかかるから、落ちるのには慣れている。同級生にはとっくに一級にたどりついてさっさとやめてしまった子もいるし、追い越されてもいるみたいだ。ぼくらは「次またがんばれ」と声をかける。「プール、楽しいか」と毎週聞くと「うん」という。

このように息子の「もうやめる」とすぐにサジを投げないところには感心する。一級になるためにはバタフライ25メートルを泳がなくてはいけない。こないだ見たら腰は沈んで手は上がってなくてこりゃまだまだだと思った。まだ背筋がないから、そもそも無理な動きにも思える。それでも「もうやだ」とは言わない。友達ができたのだから、自分もできるはず、と思ってるのかな。

その日はまたうなだれながら机に合否の紙をポンとおくが、喜びか隠しきれていない。笑みがすでにこぼれている。妻もぼくも驚いて「受かったか、おめでとう」とはしゃぐと顔を上げ、嬉しそうにはにかんでいる。合格バッジが合否の紙に貼ってある。にわかに盛り上がって長女も次女も何がどうしたの?と不思議そうである。イッキュウってなに、そんなにすごいのとキョトン。

以前は一級になったらやめるといっていたけど、まだしばらく続けたいそうだ。次から個人メドレーになる。父ちゃんもそこまでやってたわというと興味深そうに聞いている。

辛抱強いというより、つらいとおもってないかんじ。負けず嫌いなのだろう。ぼくも小さい頃はそうだったけど、ぼくのように負けてギャーっとなることはない。彼の場合、負けを受け入れる。次に切り替えることができる。

「やめない限り、次がある。」

これからも言い続けていきたい。