まよっている

次女が発熱して今日は看病デーになった。病院いって薬局いって。ついでにガソリンスタンドとスーパーにいって。息子の学校公開週間にしのびこむのは諦める。

保育園でも流行っているらしい。咳もあって、ゴホゴホつらそうだ。

いつもの行く薬局ではアンパンマンが流れているが、そのキッズコーナーに中学生くらいが居座っているのでアンパンマンを諦めて、ヘレン・ケラーの本を持ってくるので読んであげる。次女はつらそうだけど、ヘレン・ケラーに比べたら、という気持ちになってくる。

スーパーにつく。いつも中まで一緒についてきて「わたしのほしいお菓子買ってね」とおねだりするのに、今日は「車にいる」といってぐったり。「喉乾いたからジュースかってきて」とリクエスト。何がいいかきくと「いちご」。イチゴと牛乳のやつでいいか確認したらうなずく。

いちごオレの小さなパックをあげると最初は「おいしい」といって飲むが、途中で「いっぱいは、おいしくない。最初はおいしかったけど」とパパにくれる。いちごオレって、ほんとにそうだよな。同じ感想である。

家でもドラえもんをみせてもやがて「寝たい」といって、ずっと横になっている。大好きなバナナ食べるかきいても「いらない」と首をふる。明らかに元気がない。眠いけど、つらくて眠れなくてうなっている。

「パパがいるから大丈夫」「治るからね」とひとしきり横で声をかけるとうなずきながら、やっといまはすやすや寝付いた。しかしである。長女を保育園にお迎えにいかなくてはいけない。起こすか、置いていくか。今非常になやんでいる。たぶん10分くらいで帰ってこれるけど、その間に起きて泣いたらかわいそうだ。でもせっかく寝たのにな。逡巡。

いつもの元気にはしゃいでいる姿に早く戻ってほしい。

熊対策

熊がでても保育園は裏山に園児を連れていって遊ばせたらしい。園として、なかなかその判断をするには勇気がいる判断だとおもう。「事なかれ」な体質だったらしばらくは外出しないだろう。でも、この園は踏み切る。今日のような晴天の日は梅雨入り前はもう数日なわけで、結果、子どもたちはすごく楽しめたわけで、英断バンザイ。

熊が出たら、鉄砲かなんかで仕留めるのではなく、GPSをつけることはできないのかな。住宅地をお騒がせするのはたぶん、決まった数頭なわけで、「どこどこにいまいます」「住宅地に近づいています」がわかれば、共存ができるはずなんだけどな。もともと、人を襲うために住宅地を歩いているわけでもないし。

あるいは昨今巷で話題のAIが発達してるなら、熊の動きを予測とかしてもらえたら、すごく助かるエリアたくさんあるとおもうのだけどな。

お互い傷つかず、winwinの関係にはできないものかしら。そしてちょっとみてみたい。遠くから。

 

 

関取花

2年ぶりに関取花ちゃんのライブに行けた。長女をつれていった。長女は1歳のとき、New Accoustic Campで一緒に「むすめ」を聴いた。これはとんでもない天才シンガー現れたと勝手にファンになった。いまやNHK教育で「親知らず」が流れていたり、もうスターシンガーになってらっしゃる。でも楽しいMCでは初心わすれるべからずな謙虚さが随所に感じられてほっこりする。一方で、曲と歌詞はものすごくクールで、それでいて演歌のような影がある。こんなセンスフルな子を息子が連れてきたらうれしいだろうなぁ。ちなみに娘につれてきてほしいタイプは先日のサッカーのコーチのような絵に描いたような熱くてまっすぐな男である。最近こういうの多い。

長女はパパとデートということで保育園から帰ってきたらワンピースのスカートに着替えて、ネックレスとイヤリングとブレスレットを小さな青色の巾着袋に忍ばせた。

「昨日から楽しみにしていた」と車の中でうれしいことをいってくれて、一緒にドライブスルーでモスバーガーを買って食べる。

ライブハウスで椅子に座ると、巾着袋からそのアクセサリーを出してつけだす。イヤリングをつける仕草はすっかり女性だ。小さな子は彼女だけ。

開演まで10分くらいあって、「花ちゃんまだ?」とじれったそう。「もうすぐ」を何回も繰り返していると「もうすぐ、っていっても来ないじゃん」とげんなりしはじめたので「あと60秒数えな」といったらほんとに60秒たったら花ちゃんが入ってきた。

やっぱり「親知らず」になると顔がパッと明るくなり、楽しそうに聞いていた。「朝」も「おはよう」がサビで連呼されていて、「これ、インドネシアだったら『スラマパギ』の歌だね」という。最近インドネシア人のクラスメイトのために覚えた言葉。

今日は「むすめ」は唄わなかった。残念だったけど、代わりに「もしも僕に」が最後の曲で、これまた最高であった。親から子へ伝えたいことをすべからく代弁してくれている。

8時半がきたら体内時計がきっちりすぎの長女は8時半を過ぎたらウトウトしはじめた。「もしも僕に」は覚えてないかもしれないな。帰り際、その曲が入っているアルバムを買って、ウトウト娘も辛うじて花ちゃんにタッチをしてもらえた。抱っこしながら駐車場に向かうと少し目がぱっちりして、「CD、車で聴きたい」と一緒に余韻に浸ろうとしたけど、車が走り出したらすぐに寝落ちした。

次女はさすがに小さなライブハウスで1時間強座らせるのはもたないと判断して残念ながら次回に見送った。ライブハウスの椅子は狭くてその判断は正解だった。たぶんすぐ「もうおウチ帰りたい」になっていただろうな。長男と次女は妻とサイゼリアにいったそうだ。

てなわけで、まだ娘二人と花ちゃんを楽しめたことはないので、また行く。

近い

ついに熊が保育園の園庭に出たそうだ。保育園の先生もみたのだとか。お迎えにいったらパトカー3台いたのだとか。家のバス停近くでも目撃情報。

ここまで近いとさすがに焦る。狩猟免許取ったほうがいい気になってくる。

子どもたちに背中を向けたら襲ってくるから目をあわせながら後ずさりを教えるが長女と次女が怖い怖いと怯え始める。家には入って来ないよといっても落ち着かない。いつも園児が楽しんでる裏山に帰っていったとか。

保育園では園児みんなに「命に関わるお話だから」と先生からお話があったそうで、みんな真剣に静かに聞いていたと長女。

この丘で住む以上共存するしかないのだけど、さてどうしたものかしら。

長女のサッカー

初めて長女のサッカー教室を見に行ったら、みんな横一列にならんで先にならんだボールをヨーイドンで取りに行くというゲームを初めていた。最初のヨーイドンで隣の友だちと同じボールを取ろうとして頭をゴチン。二人とも泣いて、脇のベンチに退場となって、氷で頭をコーチに冷やしてもらっている。ぶつかった友だちのほうが泣いている。長女はおとなしく冷やしている。

その後のミニゲームにも入れず、その日はずっとベンチで冷やしていた。なんかプレイできそうな気もする。「もったいないなぁ」というケチ根性が湧いてくるが、大事を取ってくれるのはありがたいし、そういえばこの年長の間は教室は無料なのであった。

父としては大事な我が家のプリンセス、怪我がつきものの「こんな野蛮なスポーツおやめなさい」という気持ちがないわけでもない。弓道くらいがいいと思っているが、コーチは優しいし上手いし長女の憧れなんだろう。息子の影響も大きいようだ。

全く意に介さないで「また行きたい」というので、見守って応援することにする。ユニフォーム姿でひたむきに球を追いかける姿はまだ見れていない。みたらいいなと思うのだろうな。

三国志

サッカー教室の小さなときから息子を相手してくれるコーチが三国志が好きということで、教室のあと、最近読破した息子と話をしてもらえた。どの人物が好きかを言い合って、それぞれのエピソードを話して盛り上がっている。残念ながら、ぼくは読んだことがないから輪に入れない。「諸葛亮孔明の死に際って、面白いんでしょ」と振った話題も息子からの又聞きである。「本当によく知ってるな〜。ほんとに読んでるんですね。」とコーチに関心してもらって得意気である。「コーチ、孔明みたいなサッカー選手になりたいなと思ってた。」「あぁね」と通じ合っている。

コーチが一番好きなのは馬謖という者らしい。息子もその有名な「泣いて馬謖を斬る」という下り思い出してさらに盛り上がっていた。

コーチは63巻あるマンガを読みまくったらしい。息子にそのことをいうと「本のほうが三冊ですむから楽でいいわ」という反応。

ドラゴンボールよりだいぶかかるやろ、63冊もあったら。ってか、ドラゴンボールって小説あるん?」

「ないなぁ。あっても、面白くはないやろうな。」

「たしかに、ズバババババ、とかばっかりやしね。」

三国志とか西遊記は、本でも面白いんやなぁ」

「たしかにね」

おかげで帰り道はいつになく口数が多い。彼はブレイブボードで、ぼくは自転車。坂になるとぼくが彼の手を引っ張ってやる。

コーチは水滸伝も好きだそうだ。「ただ山賊が主人公だったり、オトナのドロドロがあったりします。ちょっと、ちがうんですよね、三国志は」とのこと。それも含めて息子にいうと興味を持ったようだ。父ちゃんも薦めていたのだけど、やっぱりコーチ、しかも読んだ人の説得力はすごい。

コーチは長女も保育園のサッカータイムで面倒をみてくれていて、積極的なことをほめてくれた。おかげでサッカーが好きになっている。

 

やさしさ

ときどき、息子が優しいと感じるときがあって、それは親にとってはすごく嬉しい時間である。成績がいいとか、それとは別次元の喜びがある。

例えば、庭でお隣さんの子とフリスビーをしていたとき。その子は足を骨折して松葉杖であった。それでも息子とフリスビーを受けたり投げたりできて成り立っているようだ。ぼくはその様子をキッチンで料理をしていて、声が聞こえる。息子が投げたフリスビーがその子が取れないところに飛んでいって、その子が取りに行こうと動こうとしたのだろう、そのとき息子が「いいわ、オレがとりに行くから」と制して自らが動いていたとき。

「優しさは、優しくされた分だけ身につく。『優しくしなさい』といっても身につかない。」とは桜美林大学の山口先生の著書にあった金言。その子がそもそももった気性もあるだろうけど、親の責任も大きい。