春の歓び

気温はいま22度。この温度は我が家にとって理想的な温度のようだ。2階のダイニングのテラスに面した窓を全開にして、吹き抜けの一番上の小さな窓を開けると心地よい風が抜ける。暑くもなく、寒くもない。Tシャツで過ごせるし、この時期は虫も少ないので侵入に神経を尖らせる必要もない。洗濯物は半日でほぼ乾く。気温は22度がよくて23度にはなってほしくない。23度だと少し暑いのだ。たった1度だけど、ぜんぜん違う。

この時期、窓を開けた我が家は実に気持ちがよい。公園のパーゴラの下にいるような、外のような解放感がある。周囲の野山と一体になって、近くに住む鴨やキジと同じところに住んでいるかんじ。家が山の一部に溶け込んで、大きくなったかんじがする。むしろ巣といったほうがしっくりくる。そうでありながら、屋根や庇が腰を降ろしたくなる陰をつくってくれて、壁がほどよく視界を制御してくれるから包まれている安心感がある。

保育園で売っていた、堀立のたけのこを茹でている。これから昆布とだしでさらに煮る。旬なたけのこ煮は好きな食べ物のベスト10に入るね。今夜が楽しみだ。

これからは山菜の天ぷらもやってくる。長い冬を経るがあるから、歓びもひとしお。いい季節になった。

屋根の上

花粉が落ち着いたので、花粉症の妻に確認して久しぶりに外で布団を干せた。午後14時ころ。取り込んだら太陽の匂いがする。

この匂いを嗅ぐとぼくが少年だったとき、育った家の瓦屋根に干してあった布団に横になったときのことを思い出す。何の変哲もない建売の2階建ての家だった。周囲の住宅地には珍しい赤い瓦だった。

屋根には父の部屋の窓から出ることができた。それは父がいないということだ。緊張しないですむ時間だ。それだけで解放感がある。屋根に乗ると、踏むと瓦どおしがずれて、ギシギシ音がする。母の瓦がずれたら雨漏りになるから気をつけろという声がする。

前の道やお隣の家を見降ろすと、普段見慣れた風景にも新鮮な印象がある。地上からは見えない近くの山や、むこうのブロックの友だちの家も見える。布団はぬくぬくと温かくて気持ちがいい。少しだけうたた寝をする。自由を感じることができた貴重な時間。だからいまでも記憶に残っているのだろう。

父は仕事に行く日とそうでない日があって、週の半分くらいは家にいるような生活だった。当時では珍しく、新卒して就職した会社をすぐに辞めた彼は、プータロー、正確には浪人時代を経ていわゆる士業についた。詳しくは知らないが、ぼくはその過渡期に生まれたらしく、義理の両親、ぼくの祖父母とはいろいろあったようだ。

それでも父はフリーランスの風が吹いた働き方を貫いた。家族を養えるだけは稼いでいたし、仕事に対する責任感はものすごくあったと気付いたのはぼくが大人になってからだ。

母は学習塾をしていたから、平日と土曜日の夜は毎日仕事だった。学校から帰るとぼくは車に乗せられ、すぐ祖父母の家に預けられた。親と夕食をとるというのは日曜日だけだった。

そんな生活だから近所の子どもたちと日が沈むまで遊ぶということはなかった。一人っ子だったし、今思うと随分孤独な、とはいえそれが当たり前だったので寂しくはなかったが、ひとりでいることが多かった少年時代だった気がする。そして働くということに対してけっこう極端な手本が二つ、身近にあった。いや親代わりだった祖父もフリーランスな住職だったから、三つか。どうりでぼくは公務員の気質が肌に合わないわけだ。そして、自分でお金を稼いで家族を養った3人にはまだまだ劣等感がある。かなわない。

あの屋根は、親のテリトリーからちょいと抜けることができた逃避所でもあった。今の我が家に子どもにとってそんな空間はあるかな。息子にはそろそろ必要なのかもしれない。

あの太陽の匂いがかぎたくて、今日も布団を干す。

英語の

息子をテニスに送りに行く車中。

ラジオでアメリカで活躍しているという松山英樹の話が出ていて、息子が「松井秀喜と一文字違いだね」って気づく。松井秀喜物語を読んでいるらしい。

「ヒデキ、の漢字も違うけどね。」

「そうなん?松山ヒデキのほうはどんな漢字?」

「英語の英に、樹木のジュ。」

「英語のエイ?」

「そう。英国の英。」

「え?どういうこと。」

想像できてないらしい。まだその漢字知らないのかな。いや知ってるはず。

「どういうこと?名前、ABCのAなん?」

あぁなるほど。そういう勘違いね。

「Aキ」で「ヒデキ」と思っていたのか。そりゃ混乱するわ。

ちゃんと説明したら「あぁそういうことか。」と腑に落ちていた。大きくなったけど、頭にまだ丸くてやわらかい、天然の素地は残っている。大事にしてほしい。

長女6歳

昨日は待ちにまった長女の誕生日で、6歳になった。一昨日くらいから「おめでとう」は百回くらいいっていたが、改めて当日も何回もいう。自分の誕生日より子どもの誕生日の方がうれしいものだ。

夕食はピザが食べたいというのでピザを買ってきてみんなで食べた。プレゼントはCMをみて惚れたらしいディズニー・プリンセスのコテコテのパソコン。ちゃんとキーボードもマウスもあるが、画面がスマホくらいしかない。いろいろひらがなやアルファベットなどの学習アプリやらが入っている。3歳からの対象だから取り組みやすいみたい。右から長男も脇からちょっかいを出して「やらせて」とマウスを奪っている。左から次女もわからないなりに自分もしたいとワガママをいっている。長女は二人に譲りながら楽しむハメになってしまっている。ペースを乱され、我慢を強いられる。それでも文句を言わず、小さな画面に3人顔を寄せ合って、楽しそうにしているからほっとする。たまにわからないと長男が教えてあげている。

ケーキは週末にしようということで、妻がアイスを買って来た。昔からあるソフトクリームの形をしたいかにも子どもが好きなやつだ。アイスを食べているときの3人は静かだ。モクモクと食べて長男が「おいしかった」と幸せそうにつぶやいている。

長女にはすでにいろんなことで精神的に頼っている。次女にとって長女はお手本だし、次女を動かしたいときは先に長女に動いてもらって、次女を連れてってもらったり。

そのおもちゃのパソコンを立ち上げたときに「目が悪くなるから1時間たったら10分間休憩しようね」とメッセージが流れたらしい。「まだ1時間たってない?」と都度都度気にする。それに現れているように、長女はマジメだ。普段親が口にする何かしなさいとか、何をしてはいけませんとかいうルールを逐一覚えていて、それを守ろうとする。よく次女を、時には長男まで注意している。ときどき、親からみてもルールを気にしすぎて苦しくないか心配になる。9時を過ぎたら眠気がきて真っ先に寝るし、朝がきたら一番に起きる。体内時計は家族で一番しっかりしている。

たぶん、将来たとえばぼくが老いて入院したとする。そのとき、子どもたちを仕切るのは長女なのが今からでも想像がつく。自由にやっている兄を動かしたり、次女に指示したり。妻に連絡したり。

だから、長女が泣くと親も動揺するし、家族はソワソワする。例えば昨日、娘二人をお風呂に入れて一緒に上がったとき。もう9時を回っていたから眠たかったのかもしれない、イライラしはじめて、うなじのところに濡れた髪の毛がつくのがいやだと騒ぎだした。じゃぁ、その髪の毛をタオルで拭いてあげるといってうなじのところを拭くとそれが痛かったらしく髪を拭くのをいやがる。でも引き続きまたその髪はうなじにペッタリ貼り付いてしまってまた嫌がる。とっととこれは拭いたほうがいいと判断して髪の毛をタオルでワシャワシャ拭いて水気をとるが、それも気に食わなくて泣いてお風呂を出る。その泣き声を聞いた長男が「父ちゃん、誕生日なのに泣かした」と糾弾してくる。

こういうときは妻がフォローに入って落ち着く。

寝床に来たときも泣いていたけど、ぼくが謝ると落ち着いた。その後本を2冊読んでやる。一冊は図書館から借りてきた本でぼくが読んでみたかった『おおきなものがすきなおおさま』という本。予想通り絵も美しいし、面白かったのだけど、「チョコレートをいっぱい食べた」というくだりを読んだら長女が「虫歯になるよ」と口にする。次のページをめくったら「王様は虫歯になりました」と書いてあったから驚く。読んだことあったかきくと初めてなので、偶然らしい。いろいろ想像しながら本を楽しむようになったのだな。もう一冊は次女のための『2歳まるごと百科』で、長女には易しすぎて、途中でまぶたが落ちて寝た。それを見て、次女も追いかけて眠ろうとする。

二人の寝顔をみて、つくづくこの家の安定は長女に依るところが大きいと思う。ついこないだ生まれたばっかりなのにすでに真ん中の子だけあって要になっている。でもまだ6歳。頼られてばっかりでは荷が重かろう。しっかり甘えを受け止めてあげなくてはいけない。

こないだ自転車で公園にいって、後ろの立ち姿をみて、すっかり女性らしくなったことに気づく。昨秋に自転車は補助輪なしで初めて乗れるようになって、その日はひとりで大きな公園を一周行って無事に運転して帰ってきた。自転車を止めて、次女を後ろに乗せてあげたり、止まったまま漕いだところに、次女が後輪に木の枝を当ててタイヤを回してカタカタいうのを楽しむのにつきあったり。

こうして誕生日を一緒に過ごすのもあと10回あるだろうか。

今はべったりだけど、パパから離れていく。それは仕方ない。でもパパは一つだけ必殺技を持っている。大人になって寿司に連れてゆくというものだ。幸いお寿司は好きなようである。行きつけのお寿司屋さんを持っておいて、パパとなら気楽に行けるし美味しいし、といく気になってくれるはずだ。そう信じたい。お寿司がダメなら焼肉でもなんでもよい。逆に娘とお寿司にいけたら人生もう思い残すことはない気さえする。

明日は保育園で4月生まれを祝う誕生会らしい。みんなの前で将来の夢を訊かれるとさっき寝床で教えてくれた「キャビンアテンダント」と応えるらしい。「パパその飛行機乗りに行くね」というとすかさず次女が「自分のにも乗ってよ」と横から入ってくる。次女に何になりたいの?と訊くと「アイス屋さん」と返ってくる。とはいえ、将来の夢は週替りである。長女なら「何にでもなれるさ」と励ます。

惚れた女性の子どもだから当たり前かもしれないけど、もしぼくが年長で同じ組だったら長女のことを好きになっている気がする。それがうれしい。

誕生日おめでとう。

ヒロシ

長女がいきなりぼくを「ねぇヒロシ」と呼ぶ。「パパ」というと「ヒロシでしょ」とたしなめられる。おもちゃで使っている旧い携帯電話を渡される。

「電話するから」。

少し距離を置いたところから「ピリリリリー」と彼女の声の着信音がなるので、「はいもしもし」。

「ねぇヒロシ、会いましょ」

「お寿司食べに行く?」

「行くいく!」

「じゃ、駅の前で待ち合わせね」

「わかった。じゃあね〜」

というやりとりをしてから、ぼくのそばに来てお寿司を食べるふりをする。

「おいしかった〜、じゃあね〜」とそっけなく元の位置に帰ってゆく。

「また今度ね、今度はお肉ね」。

 

またぼくのそばにきて、お肉も食べにいく。

「6時だから、もう帰るね」と去っていこうとする。

「もう帰るの?」とついいってしまいそうになるが、親の目線としてはそのほうがよいから「門限は大事だね」と帰す。

でもまた戻ってくる。

「ヒロシともうちょっといる」。

妙にリアルなやりとりでとまどっていると、

「ヒロシの家でお泊り〜」と楽しそうにいうので急にまた親目線に引き戻されて、「ママ、心配してるんじゃないの?」というと、「じゃ、帰るね〜」といって去ってゆく。

横でこの一連のやりとりを聞いていたママにこの軽さ、そしておマセっぷりに「少し心配なんだけど」とつぶやくと「大丈夫、ママのこと考えて帰ってくるでしょ」とこれまた軽い。そのあたりはママに任せるしかない。

ちなみに「ヒロシ」とはクレヨンしんちゃんのパパの名前らしい。ちびまる子ちゃんもそうじゃなかったっけ。

息子不在

風邪から復帰した息子はここ一週間くらい家にいない。従兄が遠くからきていて、一緒に祖父母の家に泊まっている。実にご機嫌で楽しそうだ。しかし、こっちは彼がいない夕食の食卓はスカスカな気がして、もの寂しい。いつも何かしら本を読みながら食べているから、何のことはないはずなのに。

もうすぐ彼は10歳になる。以前、子どもの身体には磁石が入っているという話を書いた。親と子どもがNとSで引かれてくっついている時期を彼はついに終えようとしているのかもしれない。従兄に学校の友だち。同年代と過ごす時間のほうが楽しくなる。そっちのほうに磁石がむく。それが自然な成長だし、喜ばなくてはいけない。彼が不在の間に「ピンポーン」と近所の友だちが4人で彼を誘いに来た。「あいつ、呼びに行こうぜ」となったことがわかり、うれしくなる。

考えてみたら、18歳でこの家を息子が出るとすると、ちょうどいま息子と一緒に家で過ごす期間の折り返し地点を過ぎたところだ。ぼくもそうだったように、一度出たら、普通もう一緒に過ごすことはないとしたら、あと9年しかない。しかも、中学校に入ったら反抗期でほぼ親との交信は途絶えるとしたら、まともに口を聞くのはあと長くて3年。言葉を失う。信じたくないくらい短い。マラソンで折り返しは「まだまだこれから」なのに。10歳を超えたらもう自動操縦なのだ。親はコックピットにはもういられない。せいぜい管制塔、ときどき報告受けたりアドバイスをするくらい。

やっぱり10歳までの期間はとことんかけがえのないものだとつくづく思う。だからここぞとばかりに長女と次女をお風呂に入れて寝かしつけまでやる。絵本も読む。彼女たちも兄がいないのは寂しい、あるいは「お兄ちゃんだけおばあちゃんの家、ずるい」。

長女は年長、次女は年少。来年になると長女が小学生になり、娘二人と歩いて一緒に登園という楽しい日常もあと1年もない。今年度は子育て黄金期な気がする。1日1日をかみしめるのみ。

おばあちゃんの魔法

タイヤを交換して昼に家に戻ると、庭で寝ている息子がいる。息子が先になって家の前で待ちぼうけしていた。いい天気だから日向ぼっこかとおもったら、元気がない。どうもつらいらしい。「疲れた」とめずらしく口にする。「頭が痛い。」

逃走中とかいう走り回る遊びを友だちと散々したらしい。急に帰宅の道で頭が痛くなったそうだ。待ちぼうけの時間は辛かっただろう、かわいそうに。

熱を測ると38.5度ある。去年もインフルこの時期かかってたな。

腹は減っているらしいが食欲はない。「寝たい?、食べたい?」と尋ねたら「とりあえず寝る」というので着替えさせる。そのままの服がいいというが着替えた方が楽になると説得。よほどヘバっているのだろう、着替えるのにも時間がかかっている。布団に横にする。

しばらくは寝ていたが、頭が痛いためによく寝付けないようだ。起きてきて、うどんを少し口にして、やっぱり辛くてまたその場で寝転がる。

「頭痛い〜」と叫び続けている。インフルの検査は明日にならないとできないだろうけど、「病院行く?」と聞いたら「うん」というので連れていく。

抱っこするが、ほどんどがぼくの身体からはみ出ている。よいしょと尻をぼくの腰の上に持ち上げると身体が揺れて頭痛が激しくなるらしく、悲鳴をあげる。でもそうしないと安定しない。この1年でも10センチは伸びている。

 

病院では「風邪の早期」の診断。「最近インフルはあまりないですよ」とのこと。

解熱鎮痛剤が処方される。これで下がらなかったら明日また来い、とのこと。

車の中でも阿鼻叫喚。途中でクリームパンを買って食べさせて、錠剤を飲ませる。

家でまた寝かしつけても「頭痛い〜」が常套句になって繰り返し叫ぶ。無力なり。

横にとりあえずいって、頭をなでながら「昔、父ちゃんの母ちゃんがこういうとき、足を擦ってくれてたわ。そしたら楽になった」というと「んじゃ、やってみて」というのではじめたら、すぐに寝付いた。薬が効いてきたこともあるだろうけど、おばあちゃんの魔法は偉大だね。もっと早く気づいてしてあげればよかった。母よ、ありがとう。