厳密長女とイヴのオフセット

クリスマスイブの子どもたちはいつになく素直だ。いつもは無視される「もう寝るよ」という言葉も従順に聞き入れて、お風呂もさっさと上がるし、寝床にもすぐに行く。

お風呂をさっさと上がったワケにはもう一つあって、家に一人置いて行かれたケヴィンを心配でこれからどうなるかを知りたかったから。

そう「ホーム・アローン」の続き。

子どもといつかクリスマス・イブにやってみたいと思っていたこと。ついにやってみた。主人公のケヴィンは8歳の設定。息子は9歳。長女は5歳。3歳の次女も言葉はずいぶんわかるようになった。今年がベストだと踏み切った。

息子は案の定面白がって終始楽しんで観ていたが、長女と次女には途中までホラー映画だったようで時折抱きついてくる。でも次第にケヴィンの見事な仕掛けに長女も「この子、頭いい〜」と感心し、最後はゲラゲラ3人で笑っていた。大成功。

そのまま隣の寝床に行って寝かしつけ。実にスムーズで我ながら完璧な流れである。

寝床の明かりを消して暗くなってもホーム・アローンの興奮は覚めやらぬようで、次女も「明日保育園から帰ってきたらまたみようね」と不動だったドラえもんの地位が揺らぐ。さすが名作。

「泥棒来てもパパの背中に隠れればいいしね」といいながらぼくの腹の上に乗る。次女のいつもの定位置。右の腕枕で長女、左の腕枕に長男。超合金ロボの合体のような重厚な態勢。窮屈である。しかし温かい。

 

しばらくしたら寝息に変わる。はずだった。

ところが、である。長女が「サンタさんがくるのって、『クリスマスの夜』やろ。今日はクリスマス・イブ、でしょ。だからなんで明日の朝なの、プレゼント来るの。」と疑問を呈する。「クリスマス、明日なのに。」

親としては早く寝かせることが優先なので、「クリスマスの夜って、クリスマス・イブの夜からいうんだよ」とか、「サンタさんは、クリスマス・イブの夜にくる、ともいえるんだよ」とか懐柔しようとする妻。それで納得するだろうと踏んでいたが、長女は厳密であった。

「サンタさんへの手紙を書いたとき、『来るのクリスマスの夜』って、いっとったやん」。

「クリスマスって、12月25日でしょ、今日は12月24日なんでしょ。『クリスマスの夜』じゃ、ないやん。」

混乱している。泣きそうになっている。

みかねた長男が、「夜の12時に、日付がかわるんだよ。」と合いの手。ぼくも寝ている夜の間に、日にちがかわることを丁寧に説明する。

 

「一日って、朝からはじまるやん」と長女。

彼女からしたら、この夜は、24日、つまりイブの夜でしかないのだ。毎日の行動のサイクルからしたら、朝が一日の始まり。明日の25日は朝から始まる。夜から一日が始まるなんて、聞いたことがない。

さらに混乱の度合いは増してしまったようで、何度も「夜の寝ている間に、25日になってるんだよ。人間がそう決めてるんだ。」と説明しても「わからない」と首を振る。

「じゃあ、明日の夜はクリスマスの夜じゃないの?」

「いや、それも、25日の夜だね」

「どういうことなん、それって。サンタさんは、じゃ、なんで明日の夜にこないの?」

的確である。中途半端にお茶を濁そうとしたら捕まる。

同じ日の夜って二つある。はじまりの夜とおわりの夜。その概念から説明しなくてはいけない。彼女のなかの「一日の始まり」をオフセットしなくてはいけない。腹をくくる。この疑問にちゃんと答えてあげよう。一からちゃんと説明しよう。

しかし、このやりとりを寝床で続けられたら早く寝ようとしていた長男も次女もたまったものではない。気になって寝られない。次女は何かと自分も絡みたいらしく「でもさ、ねぇねぇ、◯◯ちゃん、サンタさんと写真とってんて」とあさっての方向からボールを飛ばしてくるのでこの緊張感のある長女とのやりとりが中断するし。

「もういいじゃん、明日で」という妻の制止を振り切って、寝床から長女を連れ出して、ダイニングに二人で戻る。彼女も「説明、ちゃんと聞きたい?」ときいたら力強く頷いたから。

 

スケッチブックを広げて、地球の図を書く。太陽があって、地球がある。半分が昼で、半分が夜。地球儀ももってくる。

なんで、昼と夜が繰り返されるのか。地球が自転してるから。まずはそこから。

「地球って、回ってるん?」

「そうだよ。1日で、1回。」

「家も、山も、ぜんぶまわっとるん?」

「そうだね」

「じゃぁなんで、目が回らないの?」

地球が回っているなんて、感覚的に信じられない。詐欺師をみるような訝しげな表情でこっちをみてくる。

「それは地球がすごく大きいから。」といっても、まったく伝わらない。そりゃそうだ。遊園地でメリーゴーランドに乗った状態、あれが彼女の「回っている状態」なのだ。あの感覚が微塵もないのに「回ったものに乗っているんだよ、ぼくたちみんな」といわれても実感できるわけがない。

 

そこで、大きな象の絵を描く。その背中に点を描く。

「大きなゾウさんの背中に、ハエが止まっています。そのゾウさんが、ゆっくり回って歩いても、ハエは動いてるって思わないんじゃない?」

これでどうだ。

しばらく考えてから、頷く。これは、なんとなくイメージできたらしい。

「でも、ハエより、パパのほうが大きいやん。」

「そうだね、でもゾウとハエの大きさの関係と、パパと地球の大きさの関係って、ずっとずっとパパと地球の大きさのほうが大きくて・・」

「『カンケイ』って、なに?」

「・・・・」

「まぁ、自分よりずーーっと大きいものの背中に乗っかってたら、その大きいものが動いてもそれに気づかない。それは一緒なんだね。地球はゾウさんの背中みたいなもの」

「ふぅん。」

「んじゃ、人間がカメさんを持つやろ、そして、人間が回ると、カメの目は回る?」

「それは、回るやろね」

「何が違うの?」

「それは、カメの大きさが、人間とわりと近いからね。ずっとずっと、回るものより、小さくないといけない。」

「ふぅん。地球って、大きいん?」

「そうだよ。ずっとずっと大きい」

そうやって少しずつ自分なりに、理解の手がかりを掴んでいこうとしている。カメのごとく遅い。でも、彼女の中の世界の見え方が変わりつつある瞬間だし、そんなもんだろう。投げやりになることなく、ぼくが伝えようとしていることに追いつこうとしている。頼もしくなったもんだ。

 

どこまで伝わったかわからないけど、ひとまず先に進もう。まだまだ先は長い。やっと地球は回る。1日に1周。そう確認して、やっと夜の下りに入る。

地球の図にもどる。半分を黄色、半分を濃い青色で塗りつぶす。そこに一周のリングを描いて、一日のサイクルを何度も何度も彼女の生活リズムにそって説明。朝起きて、保育園いって、遊んで、お昼ごはんたべて、昼寝して、ママが迎えに来て、夕日が沈んで夜になって、ご飯食べて、お風呂入って寝る。

この寝てる間に、夜の12時という時間がきて、そこで日付が変わる。そしたら「はじめの夜」がやってくる。そして、朝が来て、昼になって夕日になって太陽が沈むと、そこから12時まで「おわりの夜」がきて、一日が終わる。夜は同じ1日でも、2回ある。そして、12月25日のサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるのは、この「はじめの夜」のところなんだ。

ぐるぐるとリングを何度も描きながらそう説明するとずっと曇っていた表情がだんだん明るくなって、ようやく「わかった」という言葉が聞けた。

時刻は23時になっている。

「もうすぐクリスマスの日の『はじめの夜』になるから、寝よっか。サンタさんがこれなくなっちゃう。」

「うん。」

あくびが出た。さっきまでの厳密モードから、やっといつものあどけない感じに戻った。ダイニングから抱っこで抱えながら、寝床に戻る。モヤモヤが消えスッキリしてくれたのだろう。腕枕をしたらすぐに寝た。いつもは3人の子どものなかで一番早く寝る子にこんな側面があったなんて。

 

ちなみに、長女と寝床から離れるとき、ややこしくなるからしばらく黙らせていた長男が何かいいかけていたことがあったので、一応何を言おうとしていたかをフォローして聞いてみたところ、

「おれもさ、疑問に思っていることあるんやけど、うるう年ってあるやろ、あれ、あの年だけ、2月29日になるやん、でもなんで2月なん?12月32日にすればよくね?」というぶっこみであった。

「その疑問、ごもっともやけど、その答え、父ちゃんしらんわ。」

長女はすっきりしたが、まだぼくには宿題が残る。そんな今年のメリークリスマス。

サンタへの手紙

息子のサンタへの手紙。

蛇腹に折って靴下にいれた。はみ出た部分に「これだよ サンタさん」としたためている。開けば以下の文。

「サンタさんへ

毎年寒い季節の寒い夜にプレゼントを届けてくれてありがとう。温かい紅茶をのんでいってね。

ぼくは、R2-D2のラジコンと

レーザークロスシューティングのW(ダブル)セットが

ほしいです。

二つはダメだったら、レーザークロスシューティングを下さい。

母ちゃんもほしいと言っているからできたら何かあげて。

来年もまた来てね。メリークリスマス!」

まさか冒頭お礼の一言からはじめられるようになるなんて目頭あつくなったが、妻がアドバイスしたらしい。そりゃそうだよな。妻への配慮も書かせたかは妻にはきかず。

ただぼくは妻に正直に「ごめん、用意してない」と告白。「いつでもいいですよ」と返ってくる。「いや、それはそれでいいんだけど、なかったら、『母ちゃんのないな』ってあいつが思うやろやろ」というと「んじゃ、わたし、自分で買ってくるわ」とぼくが子ども3人をお風呂に入れている間に出かけていった。たぶんドラマの中の高橋一生のような男ならちゃんとサプライズで夜に添えるのだろう。

 

今宵は子どもたち3人が寝床に行くまでがいつになくスムーズである。サンタ効果おそるべし。

サンタさん。まっすぐに信じているなら、まっすぐ応えるのみである。

ただ、寝床でほんとに寝つく直前に「サンタさん、お父さんとお母さんってほんとなん?ヤマギシがいうてた」とポロッときいてきたので内心ギョッとする。さっきまで紅茶の場所を妻に指定していたはずなのに。

もう9歳だもんな。揺れるのも無理ない。「誰や、ヤマギシって、しらんぞ」「そうだよね」でまじめにはとりあわず。「信じない家には、来なくて、代わりに親がやっている」。それでいいのだ。

長女はダイヤのネックレス、次女はリカちゃん人形。長女もがんばって自分の字で書いて、別の靴下に入れている。

「来年もまた来てね」。サンタさんだって来年もまたその先も、来たい。

言い方

2階のぼくのそばにいる次女を下から妻が呼んでいる。次女に何か用があるようだ。このとき、次女に「ママが呼んでるよ、行きなさい」といっても「ヤダ」と返ってくる。余裕がないときはそういわれ、イラッときて「行きなさい」と語気を強めて怒りの感情とともに命令することになる。結果、「イヤだ」と泣いて石のように次女は動かない。ますますイライラして、泣きじゃくる次女を無理やり抱えて下に連れていくことになるという関の山。この悪循環が目に見えておる。

そこでだ。ためしにその日は次女「お〜し、ママが困っているから、助けてあげてくれ!」とミッション風にいってみた。そうすると何ということでしょう素直にうんと速やかに下に降りていくではありませんか。戻ってきてミッション完了を褒めてやるとうれしそうだ。なんというwin-winの好循環。よしこの言い方は使える。三歳だって、命令に従わせる受け身よりも、使命を持たせて自発的な行動を促したほうがすんなり動くのだね。人のために動いてあげようという意識があることがわかりうれしい。

雪と若さ

積もった雪をみて、そこにめがけて走っていくか、家の中に入るか。

すごく単純だけど、その反応に若いかどうか現れる気がした。長女と次女は玄関を出ても、保育園にいく車になかなか乗らない。雪の上をザクザク歩いて、庭に初めての足跡をつけて喜んでいる。「あの足跡、全部私のだよ」といって嬉しそうだ。せっかく履いているブーツに、雪が入っていくのを見かねて「後で寒くなるからやめな」とたしなめるぼくの言葉など届いていない。後のことなどどうでもよくて、いま、そこにある雪を楽しみたい。後先を考えず、雪の中に飛び込む。それができなくなったのは、いつからだろう。

メダカの生命力

雪が降った。今回はしっかりつもった。ドスンドスン。定期的に屋根から雪が落ちてくる。けっこう大きな音でびっくりする。

中庭にあるメダカの入った水槽は、屋根からの雨水がしたたるようにと屋根のすぐ下に置いてある。しまった。キッチンから水槽をみると、完全に雪が水槽のなかに溜まってしまっている。とんでもなく、水は冷たいはずだ。メダカは5匹。

保育園に送る前に、水槽を玄関のポーチの屋根下に運ぶ。雪が邪魔でメダカの姿は分からない。横からみても、藻とフローズン状になった雪が邪魔で見えない。長女と次女もついてくる。

お玉で上から雪をすくい取って、そこにメダカがいないかを確認しながら中庭に捨てていく。もしもその中にメダカがいたとしても、そのときは残念ながら死骸だ。

「いな〜い」。長女も大きな声で一緒に確認してくれる。

掬っても掬っても、雪はなくならない。水槽の高さは30センチほど。そのうち25センチは雪。残り5センチ。絶望的だ。そこにメダカがいたとしても冷たさと重さでもうダメだろう。カチンコチンに凍る温度だ。

掬っているうちに、もう可能性がないだろうと観念しはじめる。たぶん、長女も同じことを思ったのだろう。「メダカ、いないね」。次第に声が小さくなる。

もっと早く移動させておくべきだった。罪悪感。もともとは保育園から分けてもらったもの。先生にも謝らないと。

登園の時間になった頃、うっすら、薄くなった雪の間からメダカの陰影がみえる。「おった!」と長女。でも、全く動いていない。

死体を掬い上げて悲しませてから登園させるのは心が痛いので、あとは帰ってきてぼくだけでやろうということで、室内の土間に水槽を移動させて先に保育園に送ることにする。

保育園から戻ってきて、また雪を掬うことを再開。どんどん水量も減るので水を加える。掬っても掬っても、まだメダカは見つからない。ようやく水面に浮かぶ雪が薄くなって、水底近くまで一部見通せるようになって、動かなくなったメダカがよりはっきり見えるようになってきた。

ん?かすかに、尾びれが動いている。生きてる。でも、いつもは瞬間移動のように水槽の端から端まで素早く泳いでいるのに、ほぼ同じ場所に留まっている。ヘリコプターのホバリングのようだ。その様子、確実に弱っている。

ひとまず冷たい氷の水からは救い出してあげようと、メダカを掬おうとするけど、なかなかお玉に入らない。

繰り返すうちに、お玉から逃げていることがわかってくる。巧くお玉の流れを避けているのだ。まだ死んでない。死にかけているけど、簡単には捕まらないくらいの体力は残っているようだ。

だんだん可能性を感じ始める。嬉しくなって、ならばともっと水を足す。残りの雪が早く解けるように、ストーブの横に置く。

祈りながらガレージを雪かきしたり洗濯物を畳んだり、アイロンをかけて数時間後。

見に行くと水槽の雪は溶け、中がすっきり見えるようになった。いつものように泳いでいて、1、2、3、4、5匹。ちゃんとみんな尾ひれを右に左に動かして生きている。さっきまでの鈍さが嘘のように普通に泳いでいる。なんと。全員無事であった。

メダカはなんてたくましいのだろう。雪の下のときは生きたまま冷凍されることを選び、いま解凍されて蘇ったかのよう。ますます愛おしくなる。

そんなことをしていたもんだから、12時から先着順で申込み受付けをしているサッカー教室の新年会に電話をするのを忘れてしまっていた。今日の朝、家族のみんながまだいるときに「今日の父ちゃんの仕事はサッカーの新年会の申し込みだからな」と高らかに宣言したにもかかわらずである。

すでに時間は13時。時間は14時まで。あわてて電話を探すけど、こういう時に限って電話がない。家の中、車の中を探してもない。あ〜もう。自暴自棄になりながら寝床の布団やら枕をめくりまくっているとゴロンと出てきた。慌ててボタンを押しても電池が切れておる。イライラしながら充電器につなぎ、電源を入れる。ヤフーモバイルのこの最安値の機種は電源が入るまでに1分くらいかかる。ぼくに似てぜんぜんスマートではない。ヤキモキしながらいつもの立ち上がりの画面を憎々しくみてまっている。

ようやく電話をかけてもずっと話し中である。そんなにサッカー教室人気あるの?といぶかしく思いながらも、気が気でなく、何度も発信ボタンを繰り返し押してかけつづけること約30分。時間はすでに13時45分。やっと電話がつながった。いつものコーチの声で、出た瞬間にその声色からもうだめだと悟る。

「もう満員でして、キャンセル待ち20番目になります」

なんという。キャンセル20番目ってパンデミックでも起きない限り可能性ゼロだ。もっともそのときは中止だろう。

でも「なさいますか?」と聞かれたので「はいします」と答えてしまう情けなさ。

電話を切って息子のがっかりする顔を思い浮かべて自己嫌悪に陥る。今日の父ちゃんの唯一の仕事、「決まった時間に電話する」を失敗した。こんな奴会社にいたらクビだ。仕方なく、気分を落ち着けようと同じ日にどっかで他の面白うそうなイベントがないかを検索するけど新年だけに何もない。落ち込む。

夕食を作っていたときに息子が帰ってきて、上司に悪い報告をする部下よろしくお詫びとともに伝えたら「そうか」と物分りのいい返事。「なんとしても行きたい!」ではなかったのか。「満員なら仕方ない」と思ったのか。ほっとする。「映画でも行って、他の面白いことしような」というと長女が「いえーい」と先に喜ぶ。

メダカの下りを話すると、長男も妻も面白がりながらくいついて「メダカすげー」と喜んでいる。いつもの空気になる。

長男は8回目のドラゴンボール再読を始める。今日はナメック星に旅立つようだ。何をしたわけでもないけど、いいこともあったし、残念なこともあった一日だけど、メダカに救われた日、ということになる。

いやなことないか

寝かしつけているとき、次女にときどき、「保育園でいやなことない?」と訊く。「ないよ」というときもあるし、少し考えてから「Sくんが、叩いてくる」と報告することもある。昨夜は「ギってやるよ」という。「『ギってやる』ってどんなこと?」と尋ねたら仕草で上着の首周りのところを引っ張ることらしい。

「やられたら、泣くの?」

「泣くこともあるよ」

「先生は知ってる?」

「うん。S君、怒られてるよ。一緒に遊びたかったんだって」

3歳とはいえ、次女に手をあげる男がいるとはフツフツと怒りが沸いてくる。妻は「またはじまった」というかんじで冷めている。

「パパ、怒っちゃうな。今度そのS君を怒っていい?ふみつぶしていい?」とかいうと「いいよ」と次女。「ふみつぶす」という表現が面白いようだ。

妻によると「パパがそういう大きなリアクションをするから、面白くていうんだよ。ほんとうにやられてるかは、分からない。」次女だって同じようなことしてるかもしれない、だそうだ。「3歳なんてそんなもん。」目くじら立てても仕方ないという境地。

なるほど、ぼくが煽っているのかな。確かに、次女もぜんぜん「嫌そう」ではない。もう割り切って、過去の済んだことを語るように淡々と答えてるし、ただ単にぼくのリアクションを楽しんでるようでもある。

でもね、以前も同じようなことがあったので、先生に次女が手を出していないか聞いてみたことがあるのだよ。「手を出すことはないですよ。言葉はきついですが(笑)」との返答。じゃぁ一方的に手を出されているんじゃないか。やっぱり怒りがこみ上げてくる。

引き続きぼくは怒りを表して、そのS君への復讐をあーだこーだいっていると、横で聞いていた長女が「S君も、生きたいんじゃない?」と真顔で言ってくる。

あまりにもストレートで全うな言葉に、ぼくもいきなりクールダウン。金八先生の前のヤンキーのようにおとなしくなる。

冷静になって「S君にも、パパとママがいて、悲しむよね」というと、「パパ、S君ふみつぶしたら、S君のパパとママからすごい怒られるよ」と言われ、暴力による復讐の連鎖を悟らされる。まったく。こんな調子では大きくなったら娘に振り回されることが目にみえている。

 

寝床で繰り返していう言葉がある。保育園が楽しいかをきいて「うん」と確認したあとで、「お友だちがいやなことはしない。お友だちが喜ぶことをしてあげなさい。」というもの。最近は次女もその心得を意識したらしく、続けて「おもちゃを貸してあげたりとか?」と具体的に挙げられるようになった。

昨日もそのくだりをしていると、「家をあげたりとか?」と続けてきた。

「うーん。家をあげたら、住むとこなくなっちゃうよ」とそれは同意しかねますというニュアンスで伝えたら、「いいの。そしたら家をもうひとつ作ればいいじゃん」との思わぬ返し。

この小さい家の3歳児には似つかわしくない大富豪が口にするような太っ腹なスケール。そして思い知る自分の小ささ。恥ずかしくなる。この子にはまだそれができるようになる可能性もあるかもしれないから、ここで否定はしてはいけない。

ということで「なるほど。そうだったね」と納得したふりをする。大きくなってくれ。そして友だちの前に、パパに大きな家をくれ。

いっしょに料理

保育園から帰ってきて、長女が「お手伝いしたい」というから一緒に夕ご飯をつくる。今日の献立は豚のしょうが焼きと味噌汁と、エリンギとイカのバターしょうゆ。まず野菜を切りたいというのでネギを5mm刻みで斜めにきるようにお願い。5mm幅は厳しいかなと思ったら案の定1cmを超えている。大きくて食べにくそうなものはぼくが手を貸し、さらに半分にする。それを見て本人も気をつけるようになってだんだん小さい幅で切れるようになる。前にも書いたけど、彼女の包丁さばきは荒削りではあるけど躊躇なくザクザクと切ってゆく。その勢いや良し。食べられればいいでしょ、という大胆さがある。繊細さはない。

そんな調子だからスピードは早い。さっさとネギ1本くらいは片付いてしまって「もっと切りたい」。次はしょうが焼きに添えるキャベツの千切りをお願い。これはザクザク切ればいいだけので彼女に合う。

予想通りバンバン刃をいれていく。「できるだけ細長く切れるかな。」とお手本を見せながらお願いすると、ほどほどにできるようになるからこれまた頼もしい。ぼくはその脇で生姜の皮をむいてすり下ろすと「それは何?」と興味深々。匂いを嗅がせる。

続いてぼくが豚肉をたんまりボールに入れて醤油やみりんなどとグリグリ揉み込んでいると、「今度はそれがやりたい」となる。任せてみる。揉みながら、手が冷たいとか気持ちいいとか飽きずにずっとこねくり回している。

その間にぼくはカボチャを切る。カボチャは堅いから切りたくないらしい。

次から次へとぼくがやっていることを見てはそれに興味が移り、エリンギとイカのしょうゆバターを先に炒めていると、フライパンを持ちながら、もうひとつの手で菜箸で混ぜるのをやらせろという。途中で「これ、食べたことがある」と気づき、「これ、わたしのダイスキなやつだ」と嬉しそう。

味噌汁のためのお湯がわいたので、お鍋に切った野菜たちを入れてもらう。その後、いよいよ豚肉のしょうが焼きもエリンギとイカ同様に混ぜて炒めてもらう。

そんな調子で一通り、どの品にも何かしら関わってもらうことができた。普通に戦力になってはかどった。ちなみに、この間次女はキッチンの前のダイニングでマクドナルドでもらったミニオンズの玩具をつかって会話をしている。ミニオンズ役は長女で次女はそれにいろいろ話しかける役。「ねぇミニオンズ」と次女が話かけ、長女が「なあに?」と応答するという具合。長女が相手をしてくれているから次女は退屈にならず、「わたしも料理やりたい」といいだすと大変なことになっていたから、それはそれで大事な役割。

「いただきます。」家族みんなで食べる。しょうが焼きが実に美味しい。このレベルの定食屋は普通にあるぞ。ただ漬け込んだだけではなく、ちゃんと揉んだから味がちゃんと染み込んでいるんだね。長女のお手伝いが効いた。妻も長男もどんどん箸が進み、あんなにいっぱい作ったのになくなる。食べながら「美味しいなぁ」と繰り返しぶやいていると長女もうれしくなったようで、椅子から降りてぼくのところにきて何度も抱きついてくる。「手伝ってくれてありがとう」。「明日もまた手伝うね」と行ってくれる。5歳の親孝行。でも明日は公文の日だね。

将来、彼女が大きくなったら。ご飯を作ってもらうのが夢ではない。やっぱり一緒にキッチンに立って料理がしたい。