朝の起こし方

長女と次女は起きるとき、たいていママに起こされることを望む。寝起きの不機嫌なとき、そのご要望に反してパパがいっても「ママがいい」と泣いて朝の準備のスタートが遅れる。それでもママが朝食の準備やらで忙しいのでぼくが起こすことになることもしばしば。「起きろ、朝だぞ」はまず間違いなく泣かせる羽目になるので、どうしたものかと思っていたが、最近食いしん坊の次女には「ラフランス、食べる?」が有効であることに気づく。「起きる」ことに対して、特に「父に起こされる」ことについてはNGだけど、「食べる」ことはOKなのである。寝ているようで、耳は聴こえているうたたね状態のときに、「ラフランス、食べる?」というと、むっくり身体を起き上がらせる。これは効く。でも残りのラフランスがあと2個しかないのが気がかりである。

じゃあな

息子のサッカー教室で、ここ2年くらい、一番仲の良かった友達が辞めることになった。遠方から通っていて、家の近くのスクールにも通って掛け持ちしているくらいサッカーが熱心な子。リフティングが延々とできたり、技術は息子よりも随分先にいっている。教室には30人くらいいて、同じ小学校の子たちも多い。その友達とは小学校も違うのに、いつの間にか教室が終わったあと、居残りでキャッキャ二人で遊ぶようになっていた。波長が自然と合ったのだろう。最初の頃はぼくとその友達のお父さんも加わって、2対2で試合をヘトヘトになるまでやらされたり。

辞める理由はサッカーを辞めるのではなく、スクールを絞るのだそう。両校のサッカーのカリキュラムがすごく対照的で、両足と使う派と利き足だけを鍛える派の二つの方針で混乱をしていたらしい。これからは利き足だけを鍛える方針でいくそうだ。

サッカー教室の放課後が寂しくなるだけでなく、小学校も違えばもう会うチャンスはない。小学校の習い事の友達なんてそんなもんだ、と思いつつなんか寂しいので最後の回に手紙を書いたら?と息子にいったら「そうだね」と書き始めた。年賀状くらいやりとりしてもいいだろうということで、住所を書いて渡すことにした。

書けたというので見ると、「今日でもう会えんな。(住所)じゃあな。」という文面。短いし、実にドライである。その感想をそのまま伝えたらニヤニヤしている。自分でもそうだと思っているのだろう。シャイなのか。「サッカーがんばろうな」とか「また会おうな」くらい書けよと促すと「わかった」と追記している。それでも最後に「また会おうな」だけ。

「電話番号とかも父ちゃんしらんなら、もう会いようがないよね」

「おまえがまた会いたいなら、父ちゃん連絡先交換するけど。Jリーグでも一緒にみにいく?」

「そうだね」

教室が終わり、手紙を渡してお別れのときも、「じゃあな〜」といつもと変わらない。試合観戦でまた会えるしそんなに寂しくないと思っているのか、特に感慨に浸った様子はない。むしろ父ちゃんの方が感じてそうだ。

息子と自然と仲良くなってくれる子が世間に存在してくれること、そしてその子とであったご縁のありがたみ、これを本人がわかるにはまだ時間がかかるのだろう。

カラッとしている彼を尻目に、親子に大きな声でお礼とさようならをいう。

息子は東京からこっちに移住してくるとき、それまでの人間関係のほぼ全てである保育園の友達との別れを経験して、乗り越えている。当時ひとりだけ保育園を離れ、遠くの知らないところにいくことの戸惑いがあったのだろう、一時期チックになって、無意識にクビを振ったり手足をブラブラするようになって随分心配した。でもいつしかその所作は消え、いまはちゃんとこっちで根っこを生やし、日々を楽しんでくれている。

表に現れてないだけで、彼の中に寂しさがないわけではない。素直に手紙を書くように。ドライというより、「さよならだけが人生だ」のごとく、彼の中には「そんなもんだ」が刻まれていて、それを和らげる術を身に着けていると解釈するのが正しいのかもしれない。

図書館

子どもたちは図書館が好きだ。普段おもちゃも本も買ってもらえいない。自然と物欲を制限させてしまっている。吝嗇な性格に育たないか心配だけど、欲しいものをそのまま恵んでやれるだけの経済的余裕もないのでこれはしかたない。
でも図書館だと違う。「何冊でも借りられるぞ。どんどん借りろ」と普段見せない気前のよいパパとママになることができる。

なのでストッパーを解除された子どもたちは嬉々として本を選ぶ。

しかも今日は図書館が休館日に入るというので、返却期限がいつもの2週間より長くなる。バーゲンセールにいくような気持ちで図書館にかけこんで、30冊ほど借りる。息子は江戸川乱歩とズッコケシリーズ、コナンや両さんが漫画で歴史とか科学をテーマにした解説本など。長女は紙芝居。次女はよくわからないのでジャケ買いのように表紙で絵本を選ぶ。
家で息子は黙々と読んでいる時間が長くなった。話しかけても返事をしない。寂しいが、まぁ読んだあとにいろいろと今日得た知識を披露してくれるのでそれを楽しみにする。今夜は「スペースデブリ」が何かを教えてくれた。

長女はバーパパパを「ババァパパ」という。婆と父。なるほど。あまりにも自然な言い方なので訂正しなくてもいい気がしてくる。ババァパパは土から生まれてくる、というのを教えてくれた。

合わせていくつ

バスケから帰ってくると、長男と長女がダイニングでまだ起きていた。机にむかって公文をやっている。長女は算数の教材を先生から試しにもらったらしく、足し算をやっている。「10+10」とか「10+11」とかが並んだ紙。
「むずかしいっていうから、教えてるのだけどわからないんだって」と長男。
「筆算とかで教えてるんだけどね。1+1=1っていうんだよ。」

そもそも5歳はそもそも足し算がなんたるかをわからない。数をやっと覚えたて。そりゃ無理だとアプローチを変えて教えてやることにする。
でも時間は22時を過ぎているし、お風呂に入れてほしいと次女を寝かせる妻から言われているので、お風呂で教えることにする。

「おはじき、もっておいで」

長男はそれをきいてなるほどと思ったらしく、おはじきを30個用意してお風呂に3人で入る。

湯舟につかりながら、おはじきをつかって、赤、緑、ピンクそれぞれ10個ずつのおはじきで、10個と10個は合わせていくつかな、をデモンストレーション。長女に数えさせる。そしたら10+10から10+19,そして10+20がいくつか見事にいえるようになった。
ほら簡単だろ、ということでお風呂からあがって、公文の紙にもどり、「じゃ、『10+13』をやってごらん」と促したら、長女はまた石のようにかたまる。

「さっきお風呂でやったの、覚えてる?」

「わたし、すぐわすれちゃうんだよね〜」との返答。さっきは流れでうまく導いたけど、まったく頭では理解していなかったのだろう。

これくらいのことで親はくじけちゃいけないと自分に言い聞かせて、今度は紙に書かせてみる。

「◯を10個、描いてごらん。」

長女描く。

「次にもう13個、描いてごらん」

時間がかかる筆が進まない。数えることもおっくうになってきている。

このやり方じゃダメだとわかり、もう一度おはじきに戻る。

10個のかたまりをつくって、別に13個のかたまりをつらせてみる。1、2、3と順番に数えるので、けっこう時間がかかる。そもそも、もう眠い時間だし。続けようかやめようか迷うところだけど、なんか考えてはいるみたいなので続けてみる。
おなじおはじきを2回数えそうになって、混乱しはじめている。8個なのに11個だと思っている。数えたやつを横によけたほうがいいね、とアドバイス

なんとか10個と13個のグループができる。

「んじゃ、10と13を合わせたら、いくつかな。」ここまでくればもうできるだろう。

ひとつ、ふたつ、と全部を数えようとしない。じーっとしばらく考えて、「13」と答える。

むむっ。何がわからないのかわからない。ここで「違うでしょ」は禁句だ。算数はこうして苦手意識が芽生えて「むずかしい」となって、嫌いになる。

では身近な題材をもってこよう。
「年長のクラスは10人います。長女の年中のクラスは13人います、そしたら、二つのクラスを合わせたら全部で何人いるかな?」
これならわかるだろう。
しばらく考えて、これまた「13人」と答える。

なぜだ。お風呂の中のスムーズな流れはなんだったんだろう。

同じ説明を繰り返す。そして同じことを問う。気をつけてはいても、ぼくの口調も余裕がなくなり、厳しくなってしまっている。敏感な彼女はそれを察知して、顔がどんどん曇ってくる。この空気はまずい。

顔がうつむき、手元のおはじきをあてもなくいったりきたりさせる彼女。明らかに行き詰まっている。

もう一度、おはじきを見つめている手つきをよくみていると、最初の10のグループに、13のグループから3つを動かして「13」をつくっている。

なるほど。「10と13を合わせて」が、混乱させているのかもしれない。彼女の中では、「合わせる」というのは、1つと1つが合体して1つになっているんだ。団子が一つあって、それに団子を1つ合わせたら大きな団子1つになる。そのときは「1+1=1」になる。

だから、彼女の中では「10+13=13」。「合わさって」いるから。

「足して」という表現がわかりにくいから、言い換えたのがアダになった。「全部で」というべきだったのだ。

そこで、「年長さんのひとりと、年中さんのひとりは別の人でしょ、合体しないよね?」というと少しはイメージできてきてみたい。

その壁を親子で乗り越えて、ようやく彼女は「10+13=23」といえるようになった。

彼女は何も間違っていなかった。「合わせて」の素直に言葉の意味を考えて、ちゃんと考えていた。「この子、ものわかりがわるいかも。数は苦手なのかな」と言葉にしないけど、途中で思ったパパのほうが固定観念に縛られていたのだね。

算数の面白さは、正しい答えを導くテクニックにあるのではない。真理に近づく考え方にあるんだし、彼女の方がよっぽど厳密で、理系的なのかもしれないと気づく。小学校に入って、たとえいろいろ計算でつまづいても、ちゃんと励ましてあげられる手がかりをつかめてパパはうれしい。娘を教えながら、父も学ぶ。

ママのクッキー

生クリームが賞味期限になるので、どうしよかなと妻に相談。ぼくはカルボナーラくらいしか思いつかなかったけど、妻はじゃあクッキーつくろうか、ってことささっとつくった。素朴でベーシックな味で、これが三人の子どもたちには大好評で、すぐに売り切れ。とくに長男は本を読みながらバリボリ食べ続け、妹たちの分がなくなるからそのくらいにしとけ、自分も明日も食べたいだろ、といって我慢させる。
2日目できれいになくなったので、また追加で作ってもらっていた。今度は長女と次女も一緒に混ぜたり絞ったりしたらしい。

好きなお菓子はママがつくったクッキーというのはなんかいい。

長女とピアノ

妻と長女が練習するからと電子ピアノがダイニングに運ばれてきた。窓を塞いで手狭になったが、楽しそうに練習しているので仕方ない。

パパが仕事帰りにご飯を食べていると、横で「パパ、何を弾いてほしい?」と楽譜をめくりながら長女が聞いてくる。「マクドナルドおじさん」とか、中には聞き慣れた曲もある。はじめたばかりとはいえ、もう楽譜で何が何かわかるようになって、両手を使っている。充分すでに追い越されておる。パパができないというと、「教えてあげるからやってみ」といって弾くはめになる。鍵盤をたたくのはいつぶりだろう。保育園と小学校低学年のとき、母に無理やり習わさせられたときの記憶が30年ぶりくらいに蘇ってくる。近所の友達と遊び、動きたい盛りであっただろうぼくは、ピアノは性にあっていなかったらしく、どうやったら休めるか、やめられるかばかりを考えていた。今思うと、一生懸命教えてくれようとしていたお姉さん先生たち、最初はヤマハ音楽教室の先生、次は母がやっていた塾の教え子のお姉さんに申し訳ないことをした。

小学校1、2年のころのお姉さんの先生に習っていたとき、ぼくがやっかいになっていた祖父母の家に来て教えてくれていた。ある日のレッスンのとき、家にはぼくだけで、レッスンの時間まで隣近所の当時の親友のヤッチャンの家に遊びにいっていた。ピアノの時間になっても、ぼくは楽しくてやめられず、帰らなかった。

すっかり夕方になって家に帰ったら、玄関に先生から手書きで置き手紙があった。「家にきてみたけど、いないので帰ります。次までに、どこどこまで練習しておいてね」としたためてあって、文字から、文面からすごく寂しそうな気持ちが伝わってきて、とても悪いことを自分はしたのだと気づき、恥ずかしくなって玄関で呆然と立ち尽くした。先生は、たぶんぼくがピアノが好きでないことをすでに知っていて、母に言われてあの手この手でやる気を出すようにしてくれていたのだとおもう。最初は先生の家だけど、お腹が痛いやらなんやらで休むから、最終手段で家にまで訪問してくれることになり、そしたら逃げたという始末。

罪悪感に苛まれながら、これは母にバレたらとんでもないことになると察して、ぼくはその手紙を握りつぶして、お茶の間のゴミ箱に捨てた。

その後、少し頭が冷静になってきた。手紙を捨てたとしても、きっと母と先生は連絡をとるだろうからバレる。「手紙を見せろ」とも言われ、捨てたことがわかったらますます大目玉になる。さらにまずいことをした。

ゴミ箱から手紙を取り出すと、すでにくしゃくしゃで破れかぶれになってしまっている。どうする。

当時のぼくが考えたのは、模写による複製することだった。茶の間から似たような紙をさがし、そこに同じようなペンで、先生の字体を真似て必死に書いた。自分のものではない、別人の書体を書くのは初めてだ。なかなか一緒にならないものだなとおもいながらも、何となく似てる気になってくる。15行くらいあったように思うその全文を書写し終える。これならバレまい。

怒りと失望に苛まれた母を迎え撃る。もちろん、子どものそんな小細工が通用するわけはなく、全てを見抜かれのび太のように大目玉をくらった。

楽譜は覚えてないけれど、あの罪悪感や罪を隠そうとする必死な記憶は未だに覚えている。そして、大人をごまかすことはできない、悪あがきをしても無駄と少年が悟った日でもある。長女のおかげでピアノの楽譜を眺めながら、そんな当時の生々しい記憶が蘇ってくるのであった。だからぼくは楽譜を眺めるとつらい気持ちになるのか。

長女のリサイタルはその後も続く。食事をしながら我が子の生演奏を聴けるというのは思いようによってはものすごい贅沢な夜。

彼女はぼくとはちがって、まっすぐピアノが楽しそうだ。何よりである。

とむらい

夏にカナヘビやらクワガタやらカブトやらバッタやら、いろいろ飼っていた虫カゴが4つくらいあるのだけど、息子が片付けた。残念ながら息絶えた亡骸もあるので、外にお墓をつくって埋める。

ひととおり終えて帰ってきた息子の言葉。

「それぞれ埋めて、棒をたてておいたわ。どこに埋めたかわかるし。あと、昆虫ゼリーも一緒に埋めた。そしたら、天国にいっても食べられるやろ。」

粋なことをする。優しいじゃないか。さすが僧侶のひ孫。

これまでも虫だけではなく金魚やらいろいろな別れがあって、たくさん手を合わせてきた。生命に対する畏敬の念ははきちんと教えてあげなくてはいけない。遠くない将来、人工知能が知的な分野の大部分を支配するようになる。人工知能から人間が馬鹿にされることも出てくるだろう。人間であることの誇りが薄らぐかもしれない。そんなとき、人工知能を敬い、自分たちも含めて命ある存在を軽んじてみるようになるか、あるいはその逆か。どちらに転ぶかで人類の未来は大きく変わる気がする。

ぼくは後者に転んでほしい。生命の尊さを忘れたくはない。太陽の日を浴びたら気持ちがよく、朝の鳥の声を聞いたら安らぎ、旬なものをつかった料理は美味しいと感じる。自分たちが自然界と繋がった生命体であるという実感は、日々の生活を豊かにする上で大きな拠り所になっているからだ。やがて訪れる死を前提としながら、集団で生活し、世代を超えて種を繋いでいこうとする。時代は変われど動物である以上その宿命からは逃れられないし、それでいい。サイボーグになって永遠の命をもらおうとも思わない。

「生きるって何か」は子どもにとっても常に身近なテーマであってほしい。デジタルチルドレンにはなってほしくない。最近話題になっている今後の日本の教育って科学や技術一辺倒で文系の研究は後回し、みたいな方針は近視眼的な危険なものに思えて、理解できない。ぼく自身も一応理系の身だし、息子もそっちに興味がありそうだ。科学や技術が発展するのは大いに結構だと思う。だけど、だからこそ、同時に哲学や宗教や芸術といった学問が必要だとおもう。ラッセル=アインシュタイン宣言を持ち出す間でもなく、それらがないと、科学の成果の使いみちが判断できなくなる。最先端の科学者にこそ、時の権力者にこそ、哲学を分かっていてほしい。文系学問の成果って、理系と違って息がとてつもなく長い。例えば老子アリストテレスのように、何千年も前の言葉でも、今でもなお輝きを失わず、「いいな」って思える。人間の変わってない部分に目を向けるているから。それってすばらしいこと。科学が新しいこと、変えることを追求する一方で、文系学問も世界のバランスをとるために重要なのだ。

そんなことを最近考えていから、息子の先の言葉は嬉しかった。父ちゃんが死んだら、棺桶には寿司を入れてくれ。