雪と餃子

天気予報がいったとおり、朝から大きなアラレが屋根をかしましく鳴らし、そして雪になった。水分の多いボタボタ雪。アスファルトには落ちた瞬間とけるけど、まだ残ってる先週の雪の上には積もっていく。

テニス教室にむかうとき、長男が「雪って、なんでこんなに行儀がいいのかね?」とつぶやく。行儀がいいってどういうことか聞くと、「なんかこう、真っ直ぐになるやろ」と。偏りなく均一に空から舞ってきて、どこもかしこも、見渡す限り同じように積もるさま、をその言葉で表したらしい。なるほど。

昨日、朝から餃子を作った。
餡を皮でつつんで、バットに置いていく。そのまえに、バットに小麦粉を引く。
その小麦粉がなかなか「礼儀正しく」なくて苦心して、諦めた。

ぼくがバットの中にいるとして、この雪のように小麦粉を降らせようとしたら、とても広い範囲に、高いところから落とさないとそうはならない。バットをめがけるのではなく、ほんの一部でしかない。

雪の朝は自分たちが小さく感じる。

早朝映画

寝床にならんでるDVDの棚を、一番早く起きた長女が物色している。いろいろみて、今日選んだのは「ライオンキング」。一つ一つの動物たちの動きに目を凝らし、キリンの赤ちゃんかわいいとか、この言葉何?とか夢中になっている。

くしくも新聞やSNSではこのコンテンツを生んだ大国で新しい大統領が就任したという記事が踊っている。その存在はスカーなのか、シンバなのか。それとも。

気持ちいいストーリーで舞台も好きだし、家族でファンなのだけど、今日は違った印象にみえる。
どっちの視点から眺めるかで悪と善が入れ替わって、どちらかが消えて、統一されればハッピー。実際の世界はそこまでシンプルじゃぁなくて。

この子たちには、対立がなぜ生まれて、それを乗り越えるにはどうしたらいいか、という視点を持ってほしいと思う今日このごろ。そして、どんなときもあかるく、しなやかに生き抜いていける力。

「ハクナ・マタタ」という言葉が妙に響きますなぁ。

中庭の樹


おうちを建てるとき、中庭の樹を何にしようか随分迷った。好きな小説『銀の匙』に、庭木の珊瑚樹の実を食べに鳥が集まり、それを眺めるくだりがある。それに憧れて、珊瑚樹を物色するものの、常緑樹らしく葉っぱが厚く、あまり好きになれない。樹形がきれいな王道のケヤキでいくか。でも30メートルくらいになったらどうするの?といわれ断念。サクラは毛虫がくるから妻がいやがる。などあれこれ。きりがない。けど、このどうしましょ、の悩みは楽しい時間。やっぱり実がなったり、花が咲いたり、紅葉したり、季節感があるほうがいいな。

友人であるその道のプロにも相談。植木屋さんを紹介してもらって、たくさんの売り物の樹が生えている庭をめぐる。最近は細い幹で、何本も分かれている株立ちとかいう、中くらいの高さの木が人気らしい。

結局選んだのは、樹形と色を一目で気に入ったヤマモミジ。夏の前でも、紫色の葉っぱをしている。常緑樹ならぬ常紫樹か。白い壁があるから、映えそうだと直感。
植木の日。ずいぶん土がわるいと職人さんが嘆く。株の周りは客土を入れるので当分は大丈夫だけど、根が張っていったらその先の土から水なり養分を吸うことになるから、どうなるかわからないとのこと。たくましく、育ってくれ。

植えて数ヶ月の間に、不思議なことに紫色だった葉っぱが、日を追うごとにどんどん色が薄くなり、紫というより赤色なってきた。季節的に紅葉には早いし、その地の気候とか土とかで、変わるものなのかしら。

植えてから5ヶ月ほど過ぎ、いよいよ紅葉の時期になる。葉っぱの紅さがどんどん濃くなる。燃えているという表現がしっくり。しかも葉っぱだけでなく、葉をつけている根本の枝葉まで紅くなっている。まるで血液が巡っていて、それが透けているかのよう。

秋晴れの日に中庭に寝っ転がって、葉っぱを下から見上げてみる。青空の背景に、太陽に照らされて透き通った紅色がたくさん浮いている。何重にも重なって、いろんな濃さが散らばっていて、風でゆらゆらそよいで、金魚の群れをみているかのようう。美しいな。この瞬間が見れただけでも、この樹を選んでよかったなと思える。
子どもたち3人に「おいでおいで」と一緒に樹の下にもぐらせて、寝そべってみる。「キレイだね」と口にするけど、長男はアッサリ他のことをしはじめる。次女はさすがにまだよくわからない。一番関心を示したのは長女でしばらく見とれている。

美しさは儚いのか、儚いから美しいと思うのか。そんな紅葉の盛りも1週間ほどで終わる。
順々に中庭に注ぐ太陽の光量が少ない部分から、葉っぱは手のひらが握りこぶしをつくるように丸まりはじめ、やがて落ちていく。

落ちた葉は、中庭に敷いた丸石の、石と石のくぼみに入っていく。
どんどん埋め尽くされてそれはそれで風情がある。
一日一日、朝に長女と一緒に今日はモミジ何枚葉っぱが残ってるかな、と数えた。最後の1枚まで。
その儚さを、長女は感じくれたかどうか。

散る直前が一番美しい生き様って、素敵だなと思う。衆目を集め、ピークに惜しまれながら去っていく。いかにも幸せそうだ。
しかも植物の場合、ほんとの終わりではなく、それを1年サイクルで繰り返して、また生えてくる。
毎年盛りの時期をつくり、幕を下ろし、しばらく営業をやめて、焦らして、そろそろと求められた頃にまた再開する。
なんて商売上手なんだろ。人間でそれをやろうと思うと、どういうことなのだろう。思いつかない。うらやましいねぇ。

積もった雪に耐えるように枝だけになった中庭を見ると、春が恋しくなる。
早く新しい葉っぱ、出てこないかな。
モミジ、いいね。鳥はまだこないけど。

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サンタさんへの手紙

「おれ、サンタさんへのプレゼント、変えるわ」
クリスマス・イブの2日前に急に言い出して、ゴクリ息をのみましたよわたくし。
クリスマスプレゼントへの執着は侮ってはいけなかった。

段取りミス。もう買ってますけど昨日まで欲しいといってたもの。
まさかトイザらスに2日連続で車を走らせるとは思わなかった。

ずっと「サンタに手紙をかけよ~」といっても書かずにいた長男。
やきもき。もうそこまで執着ないのかな。
リクエストは決まっていた。ドラゴンボールの影響で、オラ強くなりて~とサンドバックをご所望。
イブの前日から東京へ弾丸ツアーへ行くので、2日前にトイザらスに買いにいく。
クリスマス前のトイザらスは子どもが少ない。オトナばっかりで不思議なかんじ。

ちなみに、長女は「ソフィアの美容院やさん」とどこから仕入れたかわからないキーワードで親を困らせたが、さすがのトイザらス、それらしいものがあった。
次女のものは迷ってなかなか決められなかった。しゃべられるようになっても、まだ自分は何がほしいかがわからない。
しかも、長女が手にしているものはほぼ全部「自分も欲しい」と真似したくなり、お姉ちゃんから取り上げるお年頃。気を遣う。
自分のものより、お姉ちゃんのもののほうがお気に入りだったら、姉妹間の修羅場になる。クリスマスに姉妹でもめてほしくない。

最近、アナと雪の女王の歌を口ずさむようになったので、じゃあここはアナ雪関連にするか、と思うのだけど、2歳にちょうどいいのが、なかなかない。お姉ちゃんにピッタリのものが多い。「なんか違うな~」と回数にして5回、30分くらい店内をうろちょろ。
多分その日のトイザらスの品揃えはほぼ覚えたくらい見尽くして、悩んだあげく、いかにも抱えてるのが似合いそうなオラフの小さなぬいぐるみと、実用的な傘にした。傘はむしろお姉ちゃんが欲しいという可能性もあるけど、そっちのベクトルのほうがまだ収拾がつきそうだ。お姉ちゃんがゴネないように、もう一つ、ソフィアのジグソーパズルを購入してあげる。これでなんとかなるだろう。

そして準備は万端だぜ、と帰って夕食の準備をしていたとき、長男が学童から帰ってくるなり上のご発言。
キッチンに立って親子丼の具をつくってるぼくの横で、先にお腹空いたからと炊飯器からご飯をよそっている。
変更後のリクエストは何か、一応聞いてみる。
ドラゴンボールのカード。」
ベジットとか、ザマス合体とか暗号のようなカタカナの羅列。
ぼくの知らないドラゴンボールの世界がそこにある。それを持っているとイオンでゲームができるだとか云々。
友人が持っていて、ほしくなったみたい。この前は妖怪ウォッチで、もっとその前は戦隊モノだったなぁ。

にしても、今日買って、車のトランクに忍ばしたこのタイミングはさすがにショックがでかい。
あやうく「もう買っちゃったよ」って口を滑らしそうになる。
もう買い直す時間はない。ここは懐柔策に出て、今回は、諦めてもらおう。

「実は、もう、手紙、おまえ書かないから、父ちゃんと母ちゃんでサンタさんに代わりに手紙書いて、おくっちゃったよ。」
「え?!」
しばらく絶句。思いもよらないその返答に、顔がくもって言葉を失っている。
「なんで?!」
「いや、何回いっても、おまえ書かないし、もう間に合わないから、書いてあげようと思って。『サンドバック』って、書いちゃった。」
「・・・」

お茶碗をダイニングテーブルに運んで、白米を食べながら、か細い声で
「なんでそんなこと、するん?どこに出したの?」
どこに出した、う~ん、どうしよ。
「ゆうびんのポスト?」
と聞くので、「うん」という。

しばらく気まずい間があって、ついに泣く。
「なんで、去年までお手紙は靴下の横だったのに、郵便になるの?!」
と叫ぶ。

しまった。
記憶が甦る。たしかに、去年まではクリスマス・イブの前夜に、靴下のところに、手紙を置いておいたんだっけ。
だから本人は前日の夜までに書けばいい、と思っていたらしい。
頭の中にあるのは、どんなおもちゃでも、サンタさんは白い袋のなかに入れていて、いわば歩くトイザらスであり、Amazonでもあり、即座に対応が可能というイメージなのか。だから、変更だって直前でもOK。
次第に明らかになってくる認識のズレ。
それが急に郵便で事前に申請するシステムになって、しかも代理で出すなんて、混乱するのも無理はない。

「サンタさんも、準備があるやろ。ちゃんとサンドバックを準備してもらおうと、お手紙、出したんだよ」
「手紙出したって、フィリピンに?」
フィリピン?!なんだそれ。
「もしや、フィンランドのこと?!」
「あぁそう、フィンランド
ウル覚えしかできないところは、俺にそっくりや。
「そう、フィンランドに」
釈然としていない、というのがその表情が物語っている。
郵便のポストに入れたらサンタに届くのか、ということは父ちゃん住所しっていたのか、とかいろいろ訊かれる。
そういえばこいつの社会見学、郵便局だったな。やたらと詳しい。
「去年から引っ越したでしょ、だからさ」と別の切り口で説明を試みるも、東京からこっちに引っ越してきた去年も靴下のそばやったやろ、としっかり覚えていて畳み掛けられる。どんどん、追い詰められていく。ウカツに発言はもうできない。

「そもそも、ドラゴンボール、知らんやろ、サンタさん」
「知らんわけないやろ〜!あんな有名なやつ」と速攻返ってくる。たしかにもはやグローバルなキャラ、なんかな。
否定はできない。

そもそもの本音は「勝手にやるんじゃね~よ。」なんだろうな。
普段、子どもたちに欲しいものは買えていないし、長男はもはや親におねだりをしても買ってくれるとも思っていない。たとえ誕生日でも。
口にはださないけど、きっと我慢している。だからこそ、サンタさんは年に唯一の願いが叶うチャンスで、その思い入れの強さがこっちが想像しているよりも大きいのがわかる。

「おれ、いまから手紙、かくわ。こっちがほんものです、って。」
「え?今から出しても間に合わんやろ」
「でも、靴下のところに置いておく。そしたらそうか、っておもうかもしれんし。」

紙と鉛筆をもってきて、書き出した。
「お手紙を書いてごめんなさい。でも、ぼくがほしいのは、ドラゴンボールのカードです。」
会社でよく上司がいう「うちの部下が勝手なことしてすいません」みたいな書き出しになっている。

観念する。ここまでされたらなぁ。もしサンドバックがプレゼントだったとき、彼は喜ばない。
それがはっきりした以上、なんとかするしかない。

頭の中でトイザらスって返品できるんだっけか!?と、ドラゴンボールのカードってなんだ?!という疑問が駆け巡る。
フライパンの親子丼そっちのけでいろいろ段取りを考える。
妻が返ってきて、カクガクジカジカこうなりましたと一連の経緯を報告。
急遽翌日の午前、トイザらスに行くことを決める。
翌日。カウンターでお姉さんから返品の理由を訊かれ「ほしいもの、まちがえちゃって。」というと、優しく「そうなんですね〜」と笑って、無事返品ができた。しかも、次女の傘も1日たって割引になったので、その値段にしてくれた。
ドラゴンボールのカードのそれらしい商品を見つける。値段をみると、Amazonの方がだいぶ安い。
しかも、翌日配達で間に合ってしまう。ごめんトイザらス

12月25日の朝。彼はすこぶる喜んだ。もちろん、長女、次女も。玄関に飾ったクリスマスツリーの脇に届いた紙袋をみて、3人でワーキャー騒いでいる。よかったね〜とお互いいいあっている。この歓喜の顔をみるといろいろ奔走した甲斐があるというものだ。このクリスマスって企画ほんとにすごいなぁ。どなたがいつ、どこで始めたかしらないけど、ありがとうっていいたい。

今回のドタバタで、彼はまだ完全にサンタの存在を信じて疑っていないということがわかった。
ピュアな部分が垣間見れて、なんともかわいらしい。
「牛乳とカステラ、玄関においておいてあげなきゃね。たぶん食べていくやろ。」
前夜、祈るように手紙を置いたに違いない。

今日も近所の友だちの家へいって、カードを交換してくる!と雪の中、張り切って出かけていった。
来年は、どうなるのかな。まだしばらく父ちゃんは楽しみたい。

ひとり映画

「この世界の片隅で」を観てきた。小さな劇場に、平日だから?おじ(い)さん、おば(あ)さんで満席。火がついてる作品ってこうなるんだな。
戦争のときの呉が舞台で、主婦の目線。主夫をしているせいもあって、目線がかわっている自分がいる。水道もガスもない。スゲーな昔の家事のレベル。すみれ、なずななど草を摘んで食べるシーンに興味しんしんになる。

主人公のきょうだい構成は我が家とおなじなので、主人公よりその親に目が行く。脇役だけど、親たちは何があっても動じずに穏やかで、優しい。悟っている感がすごい。その土台としての安心感が通底しているのが、このストーリーの素晴らしさを際立たせている気がした。親が取り乱したら、カッチャカチャになって収拾がつかなくなる。こんな泰然自若な親になれたらいいな。

「ものがないなかで、なんとかするのが私達の戦いだから」という言葉が印象的だった。

雪のせいで家族イベントは中止。長男はいつものようにテニス教室。親たちが見守るギャラリーのガラス越しにラケットを自由に振り回している。ボレーの練習が始まったみたい。

静かで白い夜

最近雪が減ったと言われて久しいこの地域。この冬はまだ一回しか積もっていない。雨ばかり。

でも、センター試験の週末だけ雪になるというジンクス?しきたり?ならわし?うまい言葉がみつからないけど、そういうのがあって、今夜もお約束どおり粉雪がしんしんと降っている。

 

粉雪が降る夜のこの感じが好きだ。窓の外の闇には優しい白がまざっている。昨日満月だったらしいから、雲の裏からほんのり照らしているのだろう。その光が雪で無数の粒に散って、落ちて、地面にたまって、それらがまざっている。淡いのだけど奥行きがあり、深い。

寒い寝床で鼻から息を吸うと、メンソールのたばこのようにスーっと入ってきて、いつもよりも澄んでいる気がする。鼻の通り道がピーンとなる。こうやって吸った空気って、身体を流れているんだな。

 

雨と雪は、似ているようで、全然違うと思う。むしろ正反対。雪の夜は、静かで明るくて、どちらかというと晴れた夜のほうが似ている。傘だっていらないし。雨は、存在感を消せないあたり、むしろ太陽に近い。

雨が騎馬隊なら、粉雪は隠密。存在感を消しながらも、雪の仕業はいつのまにやら遂行されてて、この静かな夜が明けて目が覚めたら、山も街もファンデーションを塗ったようなお化粧顔になっている。いつもは不揃いな街並みも綺麗にみえる。

 

そうか、センター試験も受験生にとってはよそ行きの日。それに合わせて天気も演出しているのだとしたら、粋なはからいに思えてくる。テストが始まる前にする深呼吸も、いつもよりピンと引き締まることだろう。

 

さぁ朝はどのくらいになってるかな。子どもたち、喜ぶだろうな。また汗だくになりながら庭を一周して、巨大な雪だるまを玄関に作れたら楽しそうだ。積もれ、どんどん。

イヤイヤ期は、ぬいぐるみ期のはじまり

今週は冷えると天気予報はいっている。今朝の朝はさむくて、なかなか布団からでられなかった。家族五人なのに、これまで掛け布団がなぜか二つしかなくて、このままだと甚大な被害がでると予想したのだろう、こないだ妻が追加で一つ買ってきた。とても温かい。

天候は荒れている模様。妻が先におきて息子と一緒に出ていった。いってらっしゃいと同時に長女と次女が起きる。上の食卓に抱っこで連れていき、椅子に座らせて、ご飯と温めた味噌汁を出す。寝間着のまま、ふたりともバクバク食べておかわりまでした。納豆とアボカドを追加で出す。アボカドを一つの皿出だしたらとりあっていたので、半分ずつに分けてやる。長女がお茶がほしいというと、次女も立て続けに同じ言葉を繰り返す。

次女は最近、自分の半分くらいの白雪姫の人形(「雪ちゃん」と呼んでいる)を離さない。顔が大きい3頭身のやつ。けっこうパーツはリアルで、長女は「この髪の毛、ヒトの髪ねんよ」といっている。

食事中は邪魔なので遠くへよけると、すぐに取締られて、自分の椅子の横に戻して座らせろという。長女はCDをかけて音楽を流したいという。そんな悠長にやってる時間的な余裕はないけど、どうぞというとCDを選んでいる。次女がアナ雪のCDにしてと主張する。長女は童謡のCDがいいらしく、意見が割れた。さあどうしよと考えていると、長女はCDは童謡のをかけるけど、妹にはアナ雪のCDのブックレットを持っていってあげるという懐柔策を選択。やらせてみたら、たしかにうまくいってる。「この曲知ってる/知らない」と一曲ずついいあっている。

そろそろ保育園の時間だからと着替えて、お弁当をカバンにいれて、今日のタオルを持ってと繰り返す。けど、いっこうにしゃべったりしてご飯も進んでいない。父の言葉は基本スルーされる宿命。

でも長女が動かなければ次女も動こうとしないから、長女をなんとか動かす。

保育園への連絡帳を書いて、次女の体温を測る。体温計の先を脇の下にいれると冷たいからなのか、最近次女がいやがってジタバタして手こずる。体温が図れるまで5分くらいかかる。病院にある瞬時に図れるやつがほしい、けど、高そうだしズルズルこの数十年前と同じスペックのものを使い続けている。

先に長女が階段を降りて、準備しているところに抱っこして次女を連れて行く。抱っこのときも雪ちゃんは離さない。長女はまだ靴下を履いていない。ストーブの前でぬくぬくやっている。早く靴下はけ〜というとちょっと、待ってね〜とのんびり。そうこうしている間に保育園の時間が迫る。

ゴミの日なのでゴミを準備している間に、次女に着替えるから服を持っておいで、といってみると、収納の自分の棚を開けるところまではできたけど、ひっぱり出しすぎて全部でてしまい、棚が落ちる。次女はひっくり返る。後頭部を打ったと泣く。なだめる。「大丈夫?」というより「痛かったね〜」といったほうが泣き止むのが早いケースがあって、今日はその場合のよう。同調は王道だね。「痛かったね〜」というと頷くので、その流れで「だからズボンはこうか」、「だから保育園行こっか」というと不思議と一連の流れになって頷いてくれる。「痛かったね、だから保育園行こうか」とは我ながら支離滅裂だ。でもここでは因果の正しさは必要ない。同調していることが伝われば事はスムーズに運ぶのだから、それでいい。

オムツを替えて、服を着せて、靴下とコートを履かせて、準備が整ったと思ったらまだ長女は靴下を履いてない。おい!いい加減はきなされ、とせっついて焦らせて、ようやく長女は靴下を履こうとする。次女に靴を履かせていたら「雪ちゃんにも靴を履かせろ」と言い出す。3センチくらいの裸足。たしかに黄色い靴はいてたけど、どこに今その靴があるのかしらない。長女に聞いたら「はなれの部屋にある」というけど、今からわざわざはなれに行くのはさすがに時間のロスが大きいから、「そりゃむりだ〜」といいつつ抱っこで車に乗せる。泣くかなと思ったけど、泣かなくてホッとする。

車では次女が歩道脇に「まだ雪があちこちに残ってるね」と教えてくれる。長女は「◯◯ちゃんが、なんたらかんたらで〜」といつものようにそれぞれの友達の四方山話をレポートしてくる。おしゃべり好き。

保育園について車から二人を降ろすときも、次女は当然のように雪ちゃんをもっていくという。保育園はおもちゃの持ち込みはNG。月曜日はお別れ時にやむなくママが取ったために、しばらく泣いてしたらしい。デジャブー。「教室入ったら、お別れしなきゃだからね」と念を押してもっていく。

入ったらお遊戯室で次女のクラスのお友達たちが遊んでいて、先生が次女を見つけると「おいでおいで」と手招きしてくれる。それに興味が引かれたおかげでスムーズに白雪姫をそっと胸から抜き取る。成功して気持ちがよい。

遊戯室の奥にある長女の教室に行って「お願いします」という。長女になると全部自分でやるので、楽だなぁ。また遊戯室に戻り、次女に手をふる。次女は平均台みたいなやつにまたがって進む遊具の順番待ち。バイバイをしてくれる。そのとき、雪ちゃんを思い出すと大変だから、見えないように隠す。

 

朝は、イヤイヤ期の次女が泣くかなかないかで登園時間が随分変わる。泣いたら落ち着くまで全部がダメになって停滞する。どうやったら涙腺が破裂しないか、長女を利用したり、気をそらしたり、いなす技術が求められる。ぼくのようなオトナは言葉で説得をしようとしてしまうけど、あれは基本的に効率がわるいし、対立は涙を生むので逆効果。次女の中にある、自分で色々すすめたい能動性、やりたいという力を、うま〜く導きたい方向にどうむけられるかが勝負で、それが出来たときが一番早い。柔術のような。けど、こればっかりは3人目になっても、なかなかうまくならないもんですな。上の子のときどうしてたか忘れちゃうし。うまく行った日に限って、どたんばでトイレ行く〜というし。多分この技術を得たら、オトナ社会に対しても応用が効く気がする。自分の意見を主張するよりも、むしろ相手に自身の意見かのように同じことを言わせることのほうがむずかしいし、交渉は上手くいくように。

 

保育園を出る時、先生から、次女を抱っこして「手つめたいね〜」といってるのが聞こえる。「どんだけ家、寒いんだよ」と想像されてそうで少し恥ずかしい。ずっと白雪姫だっこしてたもんなぁ。温かいものを飲ませたり、気にする余裕がある朝にしたい。

 

今日はずっと雨やらミゾレやらアラレが変わりばんこに降っている。夜になると雪になりそうだ。夕食は鍋にしよ。スーパーにいって、これからお迎え。